官製婚活の記事を書きました

 このところ、国や自治体が結婚支援をするいわゆる「官製婚活」について記事を書いたり、コメントをしたりということが続いています。


 まず、発端は、12月7日、ネットメディアのmessyに、「国家プロジェクトと化した「婚活」 莫大な税金投入は誰のため?」という記事を書かせていただきました。福井県富山県の自治体婚活の実態を取材して書いたものです。

 これを当事者世代の方たちが読んでくださり、twitterなどで拡散されて関心を持って頂きました。

 12月10日、東京・中日新聞特報部に、「今や一大プロジェクト 官製婚活 これって 「国のセクハラ」!?」という記事が掲載され私のコメントが載りました。

 
 年が明けて、『週刊金曜日』(1月27日号)に「官製婚活で結婚・出産を強要?」という記事を掲載していただきました。

 こちらは、富山マリッジサポートセンターを利用している方を取材し、そこでセミナーでセクハラ的な対応をされたり、マッチングシステムの実態が情報がダダ漏れだったりすることについてレポートしました。内閣府の検討会の委員の先生方の陣容や、企業子宝率という指標が算出方法がはっきりしないこと、その他「35歳から卵子の老化が始まる」って説がひそかに蔓延していることなどを書きました。ご関心のある方はぜひお読みください。

 この表紙写真は、私が福井県庁に行って撮ってきた写真なのですが、表紙にまで載り、びっくりいたしました。

 また、1月27日に、日本学術会議公開シンポジウム「家族とジェンダーをめぐる法律案・制作がはらむ諸問題」(主催:日本学術会議社会学委員会ジェンダー政策分科会)で、スカイプを経由して、「「官製婚活」について—家族に介入する国家」という報告をさせていただく機会までいただきました。

 というわけで、思いがけず、最近は「婚活」や「結婚支援」の実態を調査し、報告する機会に恵まれ、長らく放置したブログでしたが、また時々は書いていこうと思っております。


 

安保法案廃案を求めて、女性グループ、レッドカードを郵送

 KNB 北日本放送で、タイトルのようなニュースとなり、女性のレッドアクションとやまの「レッドカード」を集めて国会議員に意見を届ける活動が紹介されました。サイトにあがっています





 ただし、主な意見として、「自民党さん、見損なった、次の選挙では入れません」という意見も多かったのですが、それはスルーされました。

そこで、こちらの発表資料を以下に添付して、お知らせします。



 2015年8月21日県政記者クラブ発表資料  女性のレッドアクションとやま実行委員会

自民党国会議員に対するレッドカード
——女性のレッドアクションとやまに寄せられた安保法案反対の意見——


1. レッドカードとは
 レッドカードとは、国会で私たちの声を代弁して安保法案の審議に当たる富山県選出自民党国会議員に対して、選挙民である私たちが安保関連法案に反対している理由や意見をカードに書いて、直接それを議員に届けるツールです。
 富山県選出国会議員で、安保関連法案に衆議院で賛成した自民党議員は、田畑裕明(富山1区)、宮腰光寛(富山2区)、橘慶一郎(富山3区)の3氏。今後、参議院で賛成すると見られているのは、野上浩太郎堂故茂(いずれも富山全県)の2氏。
5月31日に最初の「戦争をゆるさない 女性のレッドアクションとやま」行動を行った際に、富山で行っている行動が国会議員に届かないもどかしさを抱えました。そこで、7月25日の「戦争をゆるさない 女性のレッドアクションとやま」第二弾では、我々の反対の意志をどうやって国会議員に伝え、国会審議に反映してもらえるかを考え、レッドカードというツールをひねり出しました。
第二弾行動の七月25日、ポストに入りきらないほど集まったレッドカードは145枚。1枚には8名宛の意見が書かれており、集まった声は私たちの想像を超え、1,100筆に届きました。
意見の中には、国民を戦争に巻き込まないことが政治家の役割、という考えが多く見られましたが、そう考える人たちからは、国民の意見を尊重できない政治家にはレッドカードを渡して、退場願いたい、そう考えた方もおられたようです。
# 配布したレッドカードの実物は、別に添付

2.レッドカードを寄せた方の属性  
 記入された市町村名を見ると、地域の偏りもなく、富山市黒部市、朝日町、入善町魚津市上市町立山町滑川市高岡市射水市小矢部市砺波市南砺市氷見市など県内全域からでした。ニックネームも可としたので、寄せられた声の主の性別年齢の詳細は不明。自己申告により判明したのは、8歳から92歳までの声があったこと。名前から見る限り、女性のみならず、男性の声も2〜3割程度ありました。

3.レッドカードに見る県民の主な意見
 1,100筆に及ぶレッドカードの意見は、安保法制に関するものだけでなく、平和憲法や平和とは何か、沖縄辺野古の新基地問題脱原発、「慰安婦」問題など多岐に及んでいました。
 以下では、主な意見として3つの方向の具体的な意見をご紹介します。


1)悲惨な戦争を体験したからこそ、子や孫に戦争させるわけにはいかない

・ 「母親から戦争の苦労話を聞かされてきたから今の平和をなんとしても守りたい」
・ 「10歳で終戦になった。戦中戦後の生活は空腹と不潔の思い出ばかり。あの時代には戻りたくない」
・ 「私は戦争体験者。戦時中、物が言えなかった、家が空襲で焼けた。ひもじい子ども時代を再び、子どもや孫に体験させたくない」
・ 「私の父は戦死したのだから、もう絶対絶対、戦争はダメ」
・ 「私の父は戦争では死ななかったが、経済統制で商売できなくなりおまわりさんに捕まって自殺を図り寝たきりに。戦争は絶対にダメ。自民党の皆さん、お願いです、この法案を通さないでください」


2) 国民を戦争に巻き込まないことこそ、政治家の役割だ

・ 「積極的平和主義は、武力を使ってすることですか」
・ 「武力で平和は守れない。当たり前のことがわからない人に政治は任せられない」
・ 「何事も暴力で解決しない社会を」
・ 「あなたがまず、戦地に出かけて下さい」
・ 「平和の意味を学んで下さい。武力より外交で問題を解決していこう。」
・ 「日本国民を守るためには、どこの国とも仲良く、少々損をしたっていいではないか。戦争をして原発にミサイルでも撃ち込まれたどうするのですか」
・ 「政治家の仕事は、国民を戦争に巻き込まないことが第一です」
・ 「私のこどもや孫を戦争に巻き込む法案はやめてほしい」
・ 「戦争で最初に死ぬのは、弱者です」
・ 「戦争を美化すること、戦争を金儲けの道具にすることを止めさせよう!」
・ 「誰も侵略のためと戦争を始めません。『自国を守るため』といって始まるのです!」
・ 「ある日、朝起きたら戦争が始まっていたということがないように」

3) 自民党さん見損なった、次の選挙ではあなたに入れません
・ 「自民党の中でもこれまで戦争に反対の立場で頑張っていた人もいるのに、なぜ安倍首相にみんなモノが言えないのですか。」
・ 「自民党、昔は良心的な人も多かった。今の人は良心どこへやったの?」
・ 「議員の皆様、本当に安保法案に賛成ですか。自分の子どものことを考えていますか?」
・ 「●●さん(国会議員名)、見損ないました」
・ 「あなたには投票しません」「次の選挙は、自民党に入れません」
・ 「アベ首相、即刻退場。アナタもね。」
・ 「選挙の時だけ頭を下げるのはよしてください。平和の願いを政治に生かしてください。」


 

戦争を許さない女のレッドアクションとやま第二弾 7月25日

 戦争を許さない女のレッドアクションとやま、第二弾を、7月25日午前11時から富山駅CIC前広場で行います。なにか赤いものを身につけてアピールします。お友達に声かけあってご参加ください。

 


 手作りのプラカードをもってきてください。また、富山県選出の国会議員にレッドカードをわたします。皆さんそれぞれ思っていることを書いて、国会で私たちを代表して立法に当たる県選出国会議員に渡しましょう。

 ちなみに、富山県選出国会議員で、安保法制に賛成している自民党の議員は、富山1区に該当する市町村にお住まいの方は、田畑裕明議員(衆議院)、野上浩太郎議員(参議院)、堂故茂議員(参議院)、山田俊男議員(参議院比例)の4名あてとなります。

 また富山2区に該当する市町村にお住まいの方は、宮腰光寛議員(衆議院)、野上浩太郎議員(参議院)、堂故茂議員(参議院)、山田俊男議員(参議院比例)の4名あてとなります。

 富山3区に該当する市町村にお住まいの方は、橘慶一郎議員(衆議院)それに、野上浩太郎議員(参議院)、堂故茂議員(参議院)、山田俊男議員(参議院比例)の4名あてとなります。

 ですから、いずれにしろ、同じ内容を4枚書いていただく必要があります。

 このほか、参議院議員では、維新の党の柴田巧議員、社民党又市征治議員もおられます。そちらへの激励という形もいいかもしれません。



 下記にそのフォームを添付します。ダウンロードして使ってください。なお、書かれたものは当日ご持参下さい。
また、来られない方は、7月24日までに、あてに送って下さい。当日届けます。

 
 

奥野達夫さんのこと

 少し日がたったが、奥野達夫さんが亡くなられたということをテレビのニュースで知って、びっくりした。

 奥野さんは、南砺市立福光美術館の館長であり、もろもろ社会に貢献されてきた方だ。南砺市のお生まれで、私が生まれたところのほんの対岸の地のご出身だとご本人から聞いて、どこか近しさを感じるところがあった。


 拙ブログの福光と棟方志功でも書いた愛染苑は、福光美術館の分館であるが、福光美術館であれ、愛染苑であれ、土地に根付いた、格好つけない風情が愛すべきものと映っていた。


 『万華鏡』という写真で綴るユニークな雑誌が富山にあるが、その発行にも関わっておられた。その「古志の人の書斎」(105号、2000年)という特集の際に、「聞き書き万華鏡」というコーナーで私の書斎(書斎というのもおこがましい風情のものだが、、)について、本田恭子さんが取材して聞き書きをしてくださったことがあった。ご縁のない雑誌からの取材に不思議に思ったが、それも当時、ほとんど面識のなかった奥野さんのご紹介だったと聞いた。


 近年は、魚津の米蔵の会を支える活動もなさっておられた。米騒動について考えはじめた初期に書いたブログ記事に、奥野さんと思われる方がコメント欄に書き込みをしてくださっただろうことも忘れがたい思い出である。


 こう見てくると、奥野さんは、富山の文化的な活動を、根っこの部分で地味にも支えて来られた方だと思う。奥野さんとは、考えが異なることはあったが、恐らく思いの強さから来ることであり、いつかゆっくりと語る機会が来れば、おもしろい話ができそうという気もしていた。

 だから、なくなられたというニュースに触れ、もうそういう機会は来ないのか、とちょっとがっくりした。言葉でお伝えする機会を逸してしまったことを残念に思うとともに、冥福をお祈りしたい。

「ありがとう」か、「ごめんなさい」かの違いーー日独の戦争への反省の仕方

元北陸大学教授・田村光彰さんの「戦争の犠牲者とは誰か」(『北陸中日新聞』2015年3月6日)は、ドイツのワイゼッカー元大統領を悼む寄稿である。


田村さんは、国家が靖国神社において英霊に「ありがとう」と感謝をする日本と、「犠牲者とは誰か」を心に刻むように語り、犠牲者に「ごめんなさい」と謝罪するドイツとを対比させ、そうした行為の意味するところを私たちに問いかけている。



英霊に「ありがとう」と感謝する行為は、いいことに対して行うのであるから、繰り返される恐れがある、というのだ。「戦没者を褒めることやありがとうは次の戦死者を想定し、『後に続け』につながる危険性」があるという宗教学者の菱木政晴氏のことばを紹介している。



そして、「国家は、英霊として「ありがとう」と感謝するのではなく、まずもってドイツのように、「ごめんなさい」と謝罪するべきである。謝罪は悪いことに対して行うので、繰り返さない決意となる」という。



田村さんの寄稿記事により、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目をふさぐ」というワイゼッカー演説の意味を改めて納得した次第である。

アンドルー王子報道のsex slave を「性的関係」と訳した日本のメディアの人権意識


この記事を読んで、今回のアンドルー王子の売春騒動に関するニュースの英語版と日本語報道のギャップに感じてきた違和感の原因がわかった。そして、同時に、日本軍「慰安婦」問題に対する、国際社会の反応と日本国内の反応のギャップもさもありなんと納得できた。



図らずも、アンドルー王子の事件が日本で報道されたことで、sex slaveが問題の核心とされてきた日本軍「慰安婦」問題が日本国内ではアンドルー王子事件の被害者のケース同様に、理解されていないだろうこともなんだか納得できる気がした。


上記記事が引用しているように、海外の報道では、”sex slave”という表現が多く使われていた。インディペンダント、テレグラフニューヨークタイムズしかり。


しかしながら、日本の報道では、なぜか「性奴隷」という表現は目にしなかった。私はそれにずっと違和感を感じていた。どうしてだろうと。

日本では強制売春そのものには全く注意が払われず、ただ売春強要された女性が未成年であったということだけが論点になっているわけです。「淫行」や「少女と性的関係」というタイトルはそれを良く物語っています。

「だれかの妄想はてな版」が書かれているように、日本ではこの女性が「強制売春」の被害者であったことが抜け落ちているか、軽く扱われているのだ。単に、少女と「性的な関係」をもったことがアンドルー王子の過失であったかのように。


だが、それは違う。少女の意志に反して少女を継続的に拘束し、売春行為を強要したから、それを性奴隷状態だとして、”sex slave”という表現が用いられたのである。


ちなみに、「性奴隷制」とは、「性の自己決定権のない状態に人を置き、その人に他の人の性の相手を強制する制度のことです。自由を奪われ、モノとして扱われ、無権利状態に置かれていることが指標となります」(吉見義明ほか編『「慰安婦」・強制・性奴隷』70−71ページ)。


日本軍の「慰安婦」制度でいうなら、「軍隊が女性を継続的に拘束し、軍人がそうと意識しないで輪姦するという、女性に対する暴力の組織化」(吉見義明『従軍慰安婦』231ページ)していたことをもって、sex slave 性奴隷という表現が用いられたわけである。


今回の事件でも、少女が意に反して性行為を強要された、しかも継続的に強要されていたという状態であるからのsex slave表現であったのだろう。どのメディアもそれを使っていることから、そうした認識が共有されていることがわかる。


しかし、今回日本の多くのメディアが、未成年の「淫行」と表記したことから、「意に反した性行為の強要」を「女性への重大な人権侵害」とは認めていないことが、はからずも推測できる。これは、従軍「慰安婦」問題におけるもっとも本質的な部分を理解できていないということにもつながる。「女性の人権」に関する国際社会と日本のとらえ方の溝は深いなあと暗澹たる気持ちになった。


国連で「性奴隷制」という概念が公式用語として使われるようになったのは、1993年6月のウィーン世界人権会議に遡る。ウィーン宣言では以下の文言が入り、女性に対する暴力に関する宣言を採択することを望み、各国に宣言に沿って女性に対する暴力と闘うように強く求めた。今から20年以上も前のことだ。


>>武力紛争の状況における女性の人権侵害は、国際的人権の基本原則および人道法の侵害である。特に殺人、組織的強かん、性奴隷制、強制妊娠を含むこの種のあらゆる侵害には、格別に有効な対応が必要である。


解決が迫られる「慰安婦」問題は、よく言われるような韓国との間だけの外交問題にとどまるものでは全くない。国際社会は、「女性の人権」問題として注目しているのである。日本国内での、女性の人権に対する認識を改めることから始めていく必要がある。アンドルー王子の一件がそのことを強く教えてくれている。