「女一揆」を女性運動と呼ぶ理由

米騒動を「女一揆」と呼ぼうという話の中で、彼女たちの運動も「女性運動」だと認識しているということを書いた。しかし、わたしが富山湾沿岸における1918年の「米騒動」を女性が主役として担ったから「女一揆」であり、「女性運動」の列に加えよというのではありませんでした。改めてなぜ1918年夏富山で起きた女一揆を「女性運動」とみなすかという点について書いておこう。わたしは、主に、井本三夫『北前の記憶』(桂書房)とマイケル・ルイス『 暴徒と市民−−帝国日本における大衆的抗議』カリフォルニア大学出版局(未邦訳)に基づいて述べている。ルイスについては、ここも参照ください

井本三夫によれば、米騒動を起こした女房たちは日本海側でも起きていた産業革命――東海側のように製造業中心ではなく、海運・流通業中心であったが――により、荷役労働者になっていたので、組織性やリーダーシップを発揮できた。しかし、荷役労働は、米一俵、二俵を軽々と担ぐ女たちの仕事であった。そうした女たちにとって、女というだけで日当が半分というのは不当な待遇とみなされていただろう。同じ仕事をしても男の半分という不当に安い賃金に忍従していた。そうした賃労働者であったことから荷物を運ぶからジョーキ船が来れば米の値段が上がる、米を地元から北海道などへ移出するから米の値段がつり上がることに敏感であった。


1918年以前から富山に米騒動が多かったのは、「明治に北前船の中心となった越中が、依然として米移出地帯であった越後と並んで、明治期米騒動の集中地帯となったのである。」(井本三夫『北前の記憶』桂書房。326頁)

一揆を起こす目的が、米の積み出し阻止にあるということだ。その点、大阪や東京などでの大消費地型の米騒動とは異なる性格をもっていた。富山での1918年の米騒動を含め、近世の米騒動は越前から越中、越後などの日本海側、すなわち北前船が発展している地域で起きていた。これは、米が舟によって積み出され、移出することを阻止するために「一揆」や「騒動」を起こしていたということになる。

江戸時代は、年貢として領主が米を集め、それを換金する各藩のおかかえ商人が米騒動のターゲットだったが、明治期以降は地主層と結びついた移出商が米を移出し金儲けをし、米価を沸騰させた。そうしたいわゆる「成金」に対する怒りが米騒動を起こす原動力となったのであった

一方、マイケル・ルイスによれば、米の移出によって不当に金を儲けている米商やそれを黙認している町の有力者は、「モラル・エコノミー」、すなわち経済的公正と社会的公平という民衆の伝統に反するということで民衆(富山では荷役労働の女性労働者たち)が立ち上がったのであった。

一揆は、「女性に不利益をもたらす差別の撤廃」というフェミニズム運動の意識を明確に持っていたかどうかまでは明らかにできないが、産業革命により賃労働者になった女性たちが起こした運動という点で言えば、女性に不利益が大きい資本主義の雇用の元にあったということは言えるであろう。

井本の説明にしろ、ルイスの説明にしろ、いずれも不公正な待遇や不公正な社会のしくみに憤った女性荷役労働者たちの抵抗運動という意味は共通する。このような不公正な社会のしくみに対する抵抗運動という意味で、富山の「女一揆」は女性運動の列に加えるのが妥当だと考えたのでした。


ここで、改めて「女性運動」を定義しておきたいと思ったのですが、それがなかなか難しいことがわかりました。『岩波女性学事典』で「女性運動とは何か?」をあたってみましたが、「女性運動」という項目は収載されていませんでした。では、「女性解放運動」はどうかというとそれもありません。この事典にあるのは、「ウーマン・リブ」や「フェミニズム」「女性の政治参加促進運動」であった。だが、それらとそれ以前の女性運動や、婦人運動と言われる運動がどのような関係にあるのかを考えることはできかった。


さらに、日本では「社会運動」論と「フェミニズム・女性運動」論は、同じテーブルで議論されることがほとんどない。よって、日本の女性運動を日本の社会運動の流れの中に位置づけた議論は見あたらないように思う。

唯一、女性運動論が語られているのが、女性史の領域ではないかと思う。最後に、『日本女性史論集 (10) 女性と運動 』(総合女性史研究会編、吉川弘文館)での「女性運動」の定義を紹介してこの項を終えたい。

「多様な支配を歴史的に受けてきた人間はまた、多様な形の抵抗を自分たちの意思としてあらわすことによって歴史をつくってきたという考えから、『運動』の内容を最大限ひろげ、支配者にたいする消極的抵抗、人びとの意思の何らかの行動による表現から積極的抵抗、組織的運動まで、性差別をふくむもろもろの差別にたいする自覚的な、あるいは無自覚的な動向の、すべてをふくむものとした。このように『運動』をとらえることによって、古代から現代まで女性の抵抗と運動がいくすじもの細い流れをとりながら、一本の本流をかたちづくって要求を実現していく長い歴史過程が明確にできるだろうと考える」(p.369桜井由幾・早川紀代「解説」)


ただし、この「女性運動」の定義はあまり満足できるものではなかった。これだと、「女性」が担った運動はすべて「女性運動」という定義になってしまう。うーん、これでは「女性運動」の定義としてふさわしいとは思えない。困った。他にどこかに「女性運動」の定義で適切なものがあるのだろうか。