佐藤卓己氏から落ちている、政治権力の報道介入という視点

 朝日新聞叩きに際し、安倍首相をはじめとする政治権力が「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実」とし、「“安倍政権打倒が朝日新聞の社是だ”と名指しで批判」などと朝日新聞を名指しで批判したり、その報道に注文をつけている。一方、こうしたメディアへの政治権力の介入の事態については、一部ジャーナリストを除いて、多くの新聞社やテレビ局からは、問題点の指摘や、真っ正面からの言及などが、ほとんど見られないように思う。私が知らないだけならいいのだが、研究者からの問題提起も少ないように思えてならない。


 朝日新聞をめぐる状況を見ていると、悲しいかな、1918(大正7)年米騒動時に「大阪朝日新聞」に対して起きた白虹事件を思いおこさざるを得ない。白虹事件は、朝日新聞が政治権力に屈服してしまい、それ以来、朝日新聞をはじめとする新聞が「その存立をかけて権力と闘うことの困難」(佐藤卓己)を生じさせたエポックメイキングな筆禍事件である。


 白虹事件とは、1918年8月25日『大阪朝日新聞』が米騒動の記事を差し止めた政府を弾劾する、言論擁護内閣弾劾関西新聞社通信社大会について報じる際に、「白虹日を貫けり」という字句があることを理由に、寺内正毅内閣が『大阪朝日』を新聞紙法違反で告訴した事件である。

近代日本ジャーナリズムの構造―大阪朝日新聞白虹事件前後

近代日本ジャーナリズムの構造―大阪朝日新聞白虹事件前後


というのも、当時の『大阪朝日』は、度々の発売禁止処分にもかかわらず、政府の言論弾圧を罵倒し、厳しく政府を追及していた急先鋒でった。(安倍首相が現在の朝日新聞を「安倍政権打倒が社是」とみなすのと同様に、当時の政権からすれば、『大阪朝日』は最も激しい政府批判をする存在だった)。そこで政治権力は、朝日新聞を発行禁止にまで持ち込もうと画策した。現在も「朝日を潰せ」「朝日を廃刊に」のかけ声が聞かれるのだが、、。
 

 米騒動を契機とした白虹事件により、『大阪朝日』は密かに権力と取引し、「不偏不党」を隠れ蓑として、政治との癒着を抱えて資本主義的企業への道を邁進することを選んだ。ゆえに、白虹事件とメディアについては、有山輝雄は「白虹事件は、日本のジャーナリズムにとって最大の転換点であり、現在のジャーナリズムをも根幹のところから緊縛していると言える」(有山輝雄『近代日本ジャーナリズムの構造―大阪朝日新聞白虹事件前後 』東京出版] 9頁)と、「不偏不党」といういわゆる現代ジャーナリズムの基本が、実は、政権との癒着によって成立したものであることを明らかにしている。


 この事件について「言論の自由」という点から見ると、大きな課題がある。

 朝日新聞自体も、政府の弾圧について紙面で報じることは一切なく、他の新聞社も、政府の言論弾圧を、単に、有力新聞社と政府との関係として処理するにとどまり、普遍的な「言論の自由」の問題としてとらえ、国民全体の問題として提起していくところはまったくなかった。みな沈黙したのであった(詳しくは、上述の有山輝雄本、176-305頁を参照)。

 もちろん、現在と当時は異なる。当時の新聞は讒謗律(讒毀・誹謗に対する罰則)と新聞紙法による統制下にあった。政府から「安寧秩序を紊」すと判断されると、発売禁止や、発行禁・停止命令を受けることも少なくなかった。それでも、多くの新聞は政府批判を行っていたのだ。だが、最も勢いがあり、政府批判が激しかった『大阪朝日』すら政治権力に屈服してしまうと、白虹事件以後は、どの新聞も時の政治権力と闘えなくなってしまった。その後、1925年の治安維持法をはじめと戦争への道を雪崩打って進んでいくことは、ご存じの通りである。



 閑話休題、朝日の事件が起きて以来、白虹事件を取りあげるの右派であり、そのため、政府の弾圧に関する部分が抜け落ちていることが多い。右派が都合よく切り取っているのは、まあそうだろうなあと思うところであるが、最近気になるのは、メディアや社会学などの研究者が右派に甘言を弄しているかのような文章を書いているのを見ることがあり、目を疑っている。

 たとえば、メディア史研究者であり、白虹事件などメディアへの政治弾圧の歴史を誰よりもよく知っているはずの佐藤卓己京都大学教授(メディア史)が、9月26日「東京/中日新聞」の「論壇時評」にて、「朝日の誤報問題」という題でこの問題を取りあげているのを見て、驚いた。

 そこでは、『正論』や『WiLL』『Voice』などでが「朝日新聞炎上」や「朝日『従軍慰安婦』大誤報」などと朝日新聞批判で足並みを揃えていることをもって、「逆に朝日新聞の論壇における影響力を証明している」などとこの問題をどの視点から見ているのだろうかと言いたくなるような呆れたスタンスで評論している。そこでの佐藤氏のの結論も奮っており、「客観報道」の理念でキャンペーンを展開する戦後ジャーナリズム総体を問題視し、こうした「戦後報道の構図を変えよ」と述べているのだ。


 だが、メディアが「客観報道」に老い込められたのが1918年朝日新聞への政府の白虹事件を口実とした報道弾圧であったことにはまったく触れることはない。佐藤氏はかつてはこのように書いていた。著作を引用しよう。なお、同書は、私が持っている2008年刊行分で8刷とあるくらい、現代史のテキストとしてよく読まれているようである。「歴史とは事実の記述である以上に、その解釈である」(酈頁)とも記されている。

(「白虹事件」後に)「『大阪朝日』は編集幹部に引責辞任させ、12月1日「近年巳に不偏不党の宗旨を忘れて偏頗の傾向を生ぜし」の反省社告を掲載した。ここに報道の「不偏不党」が編集綱領として明文化される。(中略)

一連の出来事は、巨大新聞企業がその存立をかけて権力と闘うことの困難を、また「大正デモクラシー」の表層性をも物語っている」(佐藤卓己

現代メディア史 (岩波テキストブックス)

現代メディア史 (岩波テキストブックス)

岩波書店、1998年、90-91頁)


 佐藤氏は、「客観報道」というスローガンが、政府のメディア弾圧により妥協的に作られたものであることを自著で明記している。「客観報道」や「不偏不党」へとメディアが追い込まれたのは、時の政府のメディア弾圧によるものであることを佐藤氏はよく知っている。しかし知っているのに論じない。そうした背景を重々承知の上で、そうしたメディア弾圧の再来にも見える朝日新聞への介入事件を取りあげ、朝日新聞の影響力の大きさを示している、などと空とぼけた評価をしているのは、どうしたことだろうか。
 

 さらに、佐藤氏は、9月28日「産経新聞」にも登場し、「「誤報欄」常設のすすめ」を書く。新聞が生き残るために「「誤報欄」常設が有効だ。自社記事はもちろん他紙も含めて厳しく検証し、速やかに修正を加えていくことは、必要な保守サービスである。」などと述べている。

メディアへの政治弾圧の歴史に詳しい学者が朝日新聞叩きの急先鋒である産経新聞に書くのは、「誤報欄」の設置の必要性という、そんなちっぽけなことでいいのであろうか。大いに疑問である。


 現代史の研究者である佐藤氏には、現在起きている事象を歴史家の視点から解釈していただきたいと切に願う。