補足:「雌伏」のメタファーと「軍事化された男らしさ」(シンシア・エンロー)

  • 「ふぇみん」8月15日号に、シンシア・エンローの「軍事化に利用される男らしさ・女らしさ」という記事をみつけた(ちなみに、8月15日の「ふぇみん」は、ジェンダー表象に興味を持つ人にとって参考になる記事満載であった)。
  • ブッシュ政権がどうしてあれほどまで民主主義国家を軍事化できたのか、とエンローは問う。そして、大統領職のうち、軍の最高司令官という部分だけを強調するアメリカの政治文化とその政治的歪曲に大きな要因を見出している。すなわち、そこでは「統治」という意味が矮小化されたのだという。
  • それに絡めて「雌伏の夏」を改めて考えるなら、政治を多様化するにはどうすればいいか、と問うてほしいところを、「雌伏」をキーワードに勝ち負けを問題にする日本の政治メディアの文化がある。しかもその勝ち負けを「オスメス」という影の主役を配置することによって「ジェンダー化」し、それによって多くの人々に「身体になじんだ納得感」(ジェンダーってそういうことじゃあないだろうか)を醸し出させている。このメディアを媒介させた政治文化の責任(罪?)を感じるのである。
  • もちろん、これはメディアの責任というのだけではなく、読者としてそれを支えてきた私たちの責任でもある。
  • メディアの性差別表現がなぜまずいのか? 性差別だけでも問題だが、性差別にとどまらない大きな枠組み(軍事化と平和など)の問題にもきわめて便利に使われていることも問題だ。