女性運動研究は「すきま」研究か

恒例の東京の大学での少人数授業から帰ってきたところである。朝、夜行で上野に着いて、それから山の手線、小田急線と乗り継いで和光大学に行く途中、山口ともみさんの「行動する女たちの会」についての研究を読んでいた。その時思ったことは、山口さんと私がHPサイトまでつくって現在の女性運動について書いているのは、わたしたちが日本の女性運動、それも戦後の運動について研究してきたから、それらを踏まえて現状に危機感を持っているのだということが伝わっていないのではないかということである。

細谷さんが私の書いていることが単に自分の興味関心から書いているだけにみえると言われた。まったくもってその通りであり、それを否定するものではない。しかし、ただ不平不満を並べているだけに見え、その根本思想というか、基礎になっているテーマにまで理解が及ばない理由の一つに、女性運動研究が根付いているないことがあるのではないかと思えてきたのである。

フェミニズム研究はあるし、青鞜運動など戦前の女性運動については分厚い研究がある。平塚雷鳥研究や与謝野晶子研究などなら女性史の範疇に入るからなのだろう。一方、戦後の女性運動も、フェミニズム研究という名の「フェミニズム理論」研究や「フェミニス思想」研究は盛んである。しかしながら、それはあくまで現実とは遊離したかたちで、「理論」や「思想」だけを抜き出したものであって、女性運動の研究ではない。最近では、ウーマンリブ運動の担い手の一人であった「田中美津」研究もその「思想」だけ取り出されて、その範疇に入りつつある。女性学会での取り上げや刊行される本などで田中美津の思想が突出して注目されている。その反面、運動の戦術や、運動全体としてどうだったのか、などへの関心は後ろに退いている気がする。

戦後の女性運動については、女性史では取り上げないようだ。社会学の社会運動研究でもなぜか女性運動はあまり扱っていないようだ。女性運動研究はどこからも関心を持たれていないすき研究なのかもしれない。私はこれまで、戦後の参政権運動や、ウーマンリブ運動について調べてきたが、私自身が関わった1980年以降の富山での女性運動や、1990年以降の高岡での女性政策立案過程に関わる運動についても調べて書いていきたいと思っている。

90年代以降は、女性運動も女性行動計画や男女平等推進条例など行政の法律制定や施策立案にも関わっていった。その流れをきちんと追った研究はないように思う。行政施策がどう展開したかについては本や論文が多く書かれている。行政サイドの行方だけに関心が持たれ、運動がどう展開したかにあまり関心も持たれないようでは、運動の継承者が生まれないのも無理はないように思う。