『俳人はぎ女』という書

discour2005-07-10

見出しのようなタイトルの本が富山の桂書房から刊行されました。帯には、「彗星のように現れ,彗星の用に消えたーー越中高岡の生んだ天才」とあります。写真もたくさん載っていますが、若くてきれいな女性です。普通、彗星のように現れ、消えたとあれば、若くして亡くなったのだろうと思うところでしょうが、はぎ女は違いました。俳壇から抹殺されたのでした。正岡子規など、東京の有名俳人たちから若干18歳で注目されたはぎ女は、ねたまれ、夫が書いたのだという中傷にあって、自ら筆を折ったのでした。この書は、はぎ女の句や写真、もろもろの資料を全部まとめて収載しています。「そなさんと知っての雪の礫かな」「いささかは白魚仏も召し上がれ」「吾夫を外へはやらじ月こよい」などの句がよく知られています。(あとはおって書きます)
【追記】
だいぶひがたってしまいましたが、「はぎ女」の句でわたしがいいなあと思うのを上記書から探してみました。
「女泊めてあるような灯や雪の寺」
「腹黒き女嫁ぎぬ年の暮れ」
「叩いては買わぬ客のみ西瓜かな」
「馬小屋に馬の欠伸や桃の花」
「猫の手の皆貰われて五月晴れ」
上2つは、女へのこだわりを示している点が気になるなあという句です。今は知らないけど、女性が俳句を詠むことが少なかった当時ならなおのこと、偉い師に従順に句を詠むのではなく、自分の感性からほとばしる思いを詠んでいる点でジェンダー・センシティブだなと思ったのでした。これには異論もあるかもしれないなとは思いますが、わたしは、「はぎ女は架空の人物であって、実は夫の岳楼がつくっていた」というのがいかに嘘っぱちかはこれら女にこだわった句からもわかるなあとおもいました。
下の3句は、そこはかとないユーモアが好きです。それと馬や猫などの動物への目の注ぎ方もなんかいいなあと思いましたね。ぜひ、お読みください。はぎ女のファンになること請け合いです。福田俳句同好会編、桂書房刊、2100円です。アマゾンなどでも購入できます。なお、桂書房は、電話:076-434-4600です。