小泉自民党が女性候補を選ぶ基準:振り袖の似合う女

今日のテレビも新聞も政治面に女性の顔がいっぱいだ。わが北日本新聞は、藤野真紀子猪口邦子片山さつきさんの写真が順に載っていた。私の地元は反対派のドン綿貫民輔さんの富山3区だが、北日本新聞は全国紙より熱心にこれら麗しい女候補の写真を載せていたゾ。
男女参画社会基本法も止めようという動きも影ではしている小泉自民党が、比例代表の一位に女性を前戦の駒として並べる。前線の球よけには目立つものの方がかえっていいから、女の中でも特に目立つ球を揃えようというねらいだろう。基本法も止めたいと女を敵に回して画策しているのは、安倍氏ら小泉・森派なのだ。
 政治から排除されてきた女性を時代の要請だから仕方がないとシブシブ入れるのではなく、積極的にどんどんと入れる、しかも自らの基本的な考えとは裏腹に、というのだから要注意だ。
 使えるものならなんでも「利用」してやれと「使い捨ての球」として使われているからだ。いつでも用済みになったら捨てられる。それでもいいと出ているのだろうか、いやいや私こそこの機会を利用してやろうという思いかもしれないが、小泉自民党はなかなか手強い。なぜなら物事の判断基準がポピュリズム、世論の人気にあるだからだ。
 田中真紀子外相の更迭、秘書給与疑惑事件、辻元清美の秘書給与事件などが起こされたかつての流れを思い出してほしい。あの時も田中真紀子辻元清美ら女の政治家がテレビの政治ショーを盛り上げてくれ小泉劇場は賑わった。田中、辻元はその花形スターであった。
 ポピュリスト政治家は、女性のポピュリスト政治家をもっとも嫌う。怖さを知っているからだ。利用出来るときにはもちろん使う。でも危ないと思ったら、すぐに捨てる。いや抹殺する。コロされるのははっきりしている。役に立た時ではなく、国民の人気が自分より女の政治家に吸い取られるのではないかと怖れる時だ。田中、辻元失脚劇は、そういう意味で、嫉妬に駆られた女つぶしであった。
 女性差別は、女性憎悪から来ているのだと思う。男はやっぱりホントウは女が怖いのだ。だからこれまで斥けてきたのだと思う。こういう政治の動きをみていてそう思う。背水の陣では、やっぱ女性頼みなのだ。かつてのウルサイ女パージを振り返ると、今救い上げられた女候補たちが、捨てられるのはそう遠くない時だという気がする。
 そういう女を利用してつぶしてとやっていることが、単に女だけつぶしているのではないことだ。結局ナショナリズムを昂揚させ、日本を親米一本槍の政治スタンスにしてしまったことが危惧される。おおざっぱなくくりでいうと、郵政民営化反対派としてつぶされそうになっているのが、野田聖子や旧橋本派などどっちかというと男女共同参画政策を推進してきた側だ。親米一本槍ではない人たちが多いのではないだろうか(違っていたら教えてください)。一方、郵政民営化賛成派には、男女共同参画反対でナショナリストが多い。
 それにもかかわらず表面的には、小泉自民党は、振り袖の似合う賑やかな女を前列に並べる大発会方式で戦っている。このねじれに敏感になりたい。小泉自民党がほしがっている女とは、単に振り袖が似合う女だけなのだ。自己主張をする女、ウルサイ女はいらないのだ。田中、辻元はその意味で「ウルサイ女パージ」でもあった。
 ポピュリズムは女を駒として使っていこうとする。それに乗ってはならない。その影で粛々と進められてきたのが、女嫌いのナショナリズムと親米主義一本であったことを忘れてはならないと思っている。
 前回、コメント欄でtnさんが大発会についてヒントをくださったこと、seijotopさんが野田聖子さんの講演ビデオを教えてくださったことに感謝します。それから発してこのように考えてみました。どう思われますか。