「ジェンダー」論争で忘れられる女性運動の到達点

discour2005-12-31

2005年は「ジェンダー・フリー」や「ジェンダー」についてさまざまな言説が行き交いました。その中でどうも忘れられがちで困るなあと思っていることについて書きます。全文は、http://homepage.mac.com/saitohmasami/public_html/Seisabetsu.pdf  (「ジェンダー」論争で忘れられる女性運動の到達点――「性差別 」と「男女平等」概念)にありますので関心のある方は読んで下さい。


 「男女平等は重要であるが、ジェンダーフリーなんて概念はいらない」
 「男女の性別による差別は決して許されるものではない。女性の皆さんが伸び伸びと能力を発揮できる社会にしていかなくてはならないのは当然だと思っている。しかし、ジェンダーフリーは明らかに間違いだ」

 これらはジェンダージェンダー・フリーに反対している人たちの主張である。彼らは、フェミニズムや「ジェンダー・フリー」政策を「家族を破壊する」ものとして批判しているが、「男女平等」や「性差別」については表だって反対してはいないようだ。新しい歴史教科書をつくる会などの主張をみても、「男女平等」や「性差別」という概念までは敵に回す気がないようである。

 一般に、「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」が攻撃されることを守る側では、「ジェンダー」や「ジェンダー・フリー」を死守しようという主張は盛んであるが、その際、「男女平等」や「性差別」が大っぴらには反対できない概念になっているということについてはさほど注目されていないように思う。

 しかし、1970年代ウーマンリブが「性差別への告発」や「性の解放」を主張した時に浴びた社会の罵声を思い出すと、隔世の感がするし、達成した成果に感慨を覚える。まずは、右派でも(本音はいざ知らず)、「性差別」や「男女平等」を認めざるを得ない地点にまでもってきた女性運動の道のりとその成果があることを確認しておきたい。さらに、それが現在忘れられていることで何がまずいのかについても述べておきたい。

 90年代半ばから「ジェンダー・フリー」政策が始まったわけだが、それが始まる前も始まってからも女性施策に関しての90年代における一貫した問題意識は、「意識啓発」をどれだけ進めても女性差別が好転しないという危機感であった。「意識啓発」では日本の女性の非正規雇用の割合や男女の賃金格差に歯止めはかからなかったし、女性の自殺率が世界一というのも変化していない。


 だからこそ、1999年に「男女共同参画社会基本法」がつくられたのではなかったのか。この法律の成果は、第1に、第3条で「性差別の解消」が日本の歴史上初めて明文化されたこと(「男女が性別による差別的取扱いを受けないこと」)にある。第17条では、解決するための苦情処理対応をとることまで明記している(「性別による差別的取扱いその他の男女共同参画社会の形成を阻害する要因によって人権が侵害された場合における被害者の救済を図るために必要な措置を講じなければならない」)。

 第2に、「積極的に平等をつくる」ためのポジティブ・アクション政策をとることも明文化している。単に「差別をなくす」ことにとどまらない点で画期的だ(第2条で、「積極的改善措置 前号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供することをいう」という定義が入っている)。

 日本の女性運動の達成点として、「性差別をなくす」と「男女平等をつくる」という2点を明記する法律ができたことは大きな転換点であった。1979年に日本政府が女性差別撤廃条約を批准してから日本国の法律に「差別の解消」が明文化されるまで実に20年も必要としたことを考えると、「性差別の解消」をもっと前面に出して訴えるべきではないかと思う。
 この法律ができた当時は「性差別の解消」が入ったことを歓迎する議論もあったことを記憶しているが、2005年末の現在では「ジェンダーに縛られない」ことや「ジェンダーバイアスの解消」といったことが前面に出ており、「性差別の解消」の重要性が忘却の彼方に行っているように思えて残念でならない。
 これこそが、ウーマンリブ運動をはじめとして70年代以降の日本の女性運動が綿々として継続してきた「性差別」との闘いの成果ではないだろうか。しかも、基本法は、それまで社会教育畑で行われてきた女性問題施策が「意識啓発」にとどまっており成果を上げられないから、制度や慣行などシステムを変えるために導入された法律であったはずだ。それが「ジェンダー・フリー」という意識啓発施策をめぐってぐらぐらしているのは見るに忍びない。意識啓発施策ではもう限界だからこそ基本法で大きなパラダイムチェンジをはかったはずである。「性差別の解消」に焦点化し積極的な攻めに出ていくことを考えるべきではないか。
(以下、略)

【追記】あまりにお正月風情がないエントリーかもとおもって、お友だちのKazumiさんが届けてくださった紅白の百合(高岡産だって)を飾り付けたところをパチリ。やっぱ構図が悪いなあ。花のアレンジも写真の構図も・・