知識として論議されがちな「ジェンダーフリー」議論への疑問
ジェンダーフリー議論がネット上で盛んになっているのはいいのだが、肝心の性差別の解消や男女平等の実践的対策に関する議論はなぜか盛んになっていない。
ネット上でのジェンダーフリーの議論は、議論自体、実際の女性運動との関係よりも、ジェンダーフリーの定義やジェンダーフリー現象って何という一般的な知識を啓発する内容のものが圧倒的である。
googleでジェンダーフリーを検索すると「ジェンダーフリについて何も知らない人に、ジェンダーフリーって何?」「ジェンダーフリーとはQ&Aですぐわかる」「ジェンダーフリー教育の基礎知識」といったサイトばかりがずらりと並ぶ。これは「ジェンダーフリー」賛成、反対を問わず共通して、ジェンダーフリーとは何か、バックラッシュとはなにかといういわば「整理する議論」が中心だ。
ジェンダーフリーという思想について、それに反対する「バックラッシュ」現象を「客観的」「中立」に整理しようとしているのかもしれないが、当事者からは他人事のような視線に見えることだってあるだろう。さらに、一応知っておかなければ時代に取り残されるといった感じでそうした議論をフォローする議論が多いことにも不安を感じる。確かに、そうした基礎知識や現象の整理は最低限必要なことであり、なければ議論が成立しないものだ。ネット上にアンチ・フェミの議論しかなかったところにフェミニズムの議論が加わったことは重要な進展である。しかし、そろそろ具体的な対策に関心を向けようではないか。性差別問題は知識だけでは改善されない。
一時はあれほど盛り上がった男女共同参画条例策定運動に加わった人たちは今何に取り組んでいるのだろうか。合併論議で条例を作った時の熱意などが見えなくなり、有効な根拠法として利用されていないのではないだろうか。このあたりの不安や疑問、課題の整理といったことが議題として上がってこない。そんな状況に不安を感じる。また、ジェンダーフリー教育の一環として男女混合名簿の推進や、教育から「隠れたカリキュラム」をなくす運動をしていた人たちはその後どのように運動を展開しているのだろうか。現在の課題が「ジェンダーフリー」定義問題というのでは、議論としては後退にならないか。教育現場での取り組みのその後についても知りたい。
昨今の「ジェンダーフリー」議論に、性差別問題を他人事として議論している雰囲気が漂う点に私は違和感を感じている。