「官製『ジェンダー』が下りてきた!

ジェンダーフリー概念から見えてくる女性学・行政・女性運動のサイトに、山口智美さんの「官製『ジェンダー』が下りてきた!:『ジェンダー』『ジェンダーフリー』の定義をめぐる闘争と行政・女性学・女性運動」財団法人日本性教育協会 (JASE) 『現代性教育研究月報』2006年1月号掲載を掲載した。以下でお読みください。http://homepage.mac.com/tomomiyg/kanseigender.htm



この論考の著しい点は、女性運動論の観点から、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」政策をレビューしている点にある。これまで「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」について数多く論じられているが、女性運動の歴史を押さえて書かれたものがどれだけあっただろうか。皆無に等しい(あると思う方はじっくりみてほしい。女性運動について書かれていると思っていたものの多くが行政の施策と女性運動との区別をしていない、混同していることがわかるだろう)


その意味で山口論文が、「ジェンダーフリー」も「ジェンダー」も、国や東京都などの行政と行政と連携する女性学者が導入し、普及を進めてきたものであり、決して地域から、草の根の問題解決のために生まれた動きではないと指摘しているのは極めて重要な指摘であると思う。


山口論考は結論として、このような行政と女性学の結託により「官から市民へ、中央から地方へ下りて来るという状況は、「ジェンダーフリー」と同じだ。この構造自体を変えて行く必要もあるのではないだろうか。下から、運動の現場から、それぞれの地方から、どのような概念が何のために必要なのかを提示し、議論していくことが必要なのではないか。少なくとも、日本の女性運動は行政をリードしてきた歴史をもってきたはずだ。」と締めている。


わたしも、http://d.hatena.ne.jp/discour/20060118「行政の保守性を議論しない「ジェンダーフリー」論争」では「これまでの女性差別問題への行政の取り組みが意識啓発だけで手をこまねいていたことには大いに疑問を感じている」と書いた。「官製『ジェンダー』が下りてきた!」では、これを女性運動にとってマイナスの政策であると断じている。「ジェンダー」が下りてきてから女性運動はどれだけ前に進めただろうか、という点を具体的に議論していく必要を感じる。


1995年以降の政策としては、基本法、条例の制定、DV関連の法制定、制度的取り組み・・・がある。行政施策を精査して女性たちが真に望むものを見定め、ますます格差拡大社会になっていくのに棹さす運動を展開していかなくてはならない。


わたしが女性運動として一番力を注ぐべきだと思っているのは均等待遇の問題だ。いまは、三人に一人が非正規雇用であり、1500万人余りに上るという。女性に関していえば、二人に一人が非正規雇用である(かくいうわたしもその一人だ、大学・専門学校の非常勤給与も低く抑えられている)。そして、パート労働者の多くを占める女性パートの賃金総額は正規男性の37.0%と、大きな格差がある。このようなことを当たり前と認めてきた、いや諦めて放置してきたのは間違っていたのではないだろうか。



世界的にみても特に欧州では、パートの収入はフルタイムの7-8割以上が当たり前だ。1時間2100円なら、パートだって1時間1500円以上もらえるわけだ。3-4割という日本での格差はやはり異常だ。
日本もこの程度にまで引き上げていかないと、今のはあまりにも不当な奴隷労働ではないだろうか。


この格差問題は女性問題でもあるので、これこそ行政がもっと力を入れて取り組んでいただきたいことだ。意識改革などではなくこうした格差問題で制度の改革に歩を進めていただきたいと思う。国や行政は子育て支援不妊女性への支援に力をいれているが、こうした女性差別の本丸には手をこまねいている。それはまずいことだ。


ジェンダーフリー」導入によって、どのように事態がよくなったか。意識啓発に焦点化し、肝心の女性差別是正策は進まず、かえって格差が増大している。今取り組むべきは格差解消であって、少子化対策はその後でいいのではないだろうか。行政の施策が真に女性たちのプラスになっているのか、を常に見定め、より困っている人のためになる施策を、という視点を女性運動は忘れてはならない。


ここでは、山口論文「官製ジェンダーが下りてきた」で論じられている「女性運動の観点からみて行政施策を評価すべきだ」を現在にあてはめて具体的に考えてみた。山口論文の論点である「ジェンダーフリーでないと特性論を越えられないのか?」など他の論点については別に論じていきたいと思う。