「ジェンダーフリー」女性学運動という問題

前エントリーでの朝日新聞3月23日竹信三恵子・平塚史歩記事への意見を書きました。それに対してyamtomさんからコメント欄で、「『女性学問題になると、議論が盛り上がらなくなるのはどーして???』というコメントがあり、そのあとこの議論が続いております。


それに対して、ある方から、個人メールで以下のようなご意見をいただきました。女性学に関わる者として常に頭におきたい言葉だなあと思いました。ご本人の了解を得て以下に載せさせていただきます。

yamtomさんの「フェミニズムやリブ運動が、日々の生活の実感から出てきた問題を扱ってきたはずが、ジェンダー概念レベルの話になってしまっている』というご指摘、非常に重要なことだと思います。これはなにも女性学に特有の問題ではないような気がします。学問としてスタートしたときは、社会学も経済学なども似たような日々の疑問から始まったのにもかかわらず、学問として市民権を得て、研究分野も量質ともに広がると、研究者は当初の目的を見失う傾向があるような気がします。


一市民としての疑問を解決することが目的だったはずが、研究者の日々の糧を得るため、保身のための学問に変わってきてしまったような。ジェンダー概論のいまの動きを見ていると、研究者のための学問だな〜と。


実践的な研究、問題解決型の運動に近い学問には研究者が寄り付かなく、逆に言葉の定義などの形而上学的なものに研究の関心が行くような。政治的なものから一定の距離をおきたい気持ちはわかりますが、フェミニズムの「パーソナル イズ ポリティカル」の考えからは逸脱するような・・・


また、議論を深めるご意見をいただければと思います。


そういえば、今日の朝日新聞文化欄では、『論座』4月号の佐藤文香フェミニズムに苛立つ『あなた』へ『怒り』はどこに向かうべきなのか」が「今月の論考」の一冊として、東京大助教授の林香里さんにより推薦されていました。


上のご意見を応用すると、アルバイトやパートや派遣などで働く主婦や若者が、大学で安泰な地位を持つフェミニストから「ジェンダーフリーバッシングに走るのが悪い」とお叱りを受けるのも、保身のための学であるゆえんなのかな・・・。


主流女性学が「保身のための学問」に陥らないように活発な議論をお願いします。