女性学の権威主義

 3月29日「ジェンダーフリー女性学運動という問題には多数のコメントをいただきありがとうございました。特に、「女性学権威主義」について、コメント欄が手狭なのによくぞ書いていただきました。


 前エントリーが『女性学問題になると、議論が盛り上がらなくなるのはどーして???』から始まったのに、熱心な議論が展開されたのはとても貴重であったと考えています。しかも、女性学のこれからを担う30代女性学者が話題になり、また実際に30代の女性・男性からのコメントで盛り上がりました。高齢化が懸念されている女性学や女性運動にとっては、将来を考える意味で展望を感じさせる盛り上がりだったと思っています。

 最後にTummygirlさんから、長文のコメントをいただきました。「女性学権威主義」についてさらに整理した議論をしていこうという提起と歓迎し、引き続き議論を続けたいと思います。コメント欄があまりにも手狭でよみづくらくなっているので、新たに「女性学権威主義」としてエントリーを立てました。新たにご参加いただける方も歓迎です。

 Tummygirlさんからは以下のようなご指摘です。再度引用します。

女性学権威主義的傾向」については、確かにそれは悪いことっぽいぞ!という感覚はわかるのですが、皆様の議論の中では、_1.「女性学」を代表している(ことになっている)学者が行政を利用し、あるいは行政に利用されて、そこに馴れ合いと言える状態が成立している_2.「女性学研究者」と「草の根運動」との間に乖離が生じている(難しげな言葉を使って現実から浮いた世界を展開している、というのもここに入りますか?)_3.「女性学研究者」はエリートであり強者であるのに、そのことに無自覚なままに弱者を批判し、「女性学」の自己保存に走りがちである_の三つ(他にもあったらごめんなさい)が混在しているようです。私自身は、その全てを一掴みに「権威主義的」と批判するのは、余り生産的ではないと思っています。


「主流女性学」の「権威主義的傾向」および「制度化」という言葉で皆様が具体的に何をさしていらっしゃるのか、ご説明いただければ有難いのですが。


 ご指摘の「女性学権威主義的傾向」ですが、以下のようなテーマと課題にわけて考えるとどうでしょうか?

    テーマ             問われている課題
1.女性学と行政の関係     女性学は、真に市民の役に立っているか?
2.女性学と女性運動の関係   女性学は、女性運動の役に立っているか?
3.女性学者の立場性      女性学の担い手は、自らの権力性に敏感か?

 
 なお、このテーマについては、yamtomさんと斉藤はこれまでhttp://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.htmlジェンダーフリー」概念から見えてくる女性学・行政・女性運動の関係サイトを設けて発信しているところです。わたしの考え方については、これまで本ブログならびに上のサイトで書いていますのでご理解いただけるかと思います。


 前のエントリー、後半では主に3番目に議論が移行していたのではないかという気がします。特に、女性学者が自らの権力性に敏感ではないという批判だったと思います。お書きの「制度化」については、特にテーマにはなっていなかったと思います。


というのがわたしの理解ですが、勝手に簡単にまとめてしまってもなんですので、これについて書かれたyamtomさんや野良さん、どうぞ再登場していただければと思います。また、tummygirlさんのご意見もどうぞおっしゃっていただければと思います。また、新たなかたが素朴なところから質問や提起いただいても結構です。


女性学にとっても女性運動にとっても有意義で実りある議論をしていきたいというのが本意です。また、この分け方が不十分ということであればどうぞご指摘いただければと思います。いろいろどうぞよろしくお願いします。