女性学・行政・女性運動:つづきとご意見募集
このエントリーでは、id:tummygirl さん、brother-tさんからいただいたコメントに答えたいと思います。
まず、id:tummygirlさんからトラバいただき、わたしがエントリーをたててその後緻密な議論を継続していなかった点についてのご指摘は確かにそうだなとちょっと反省です。id:tummygirlさんのご指摘くださった点を含め意見交換をしていけたらと考えておりますのでよろしくお願いします。
id:tummygirlさんがもっとも関心と利害関係があると主張されているのが「ジェンダー規範の下で非規範的な身体や性がどう生き延びるかということであり、それは具体的・日常的レベルでは、ジェンダー・セクシュアルマイノリティが直面させられている諸問題をどう考え、それにどう対処するかということ」であることを理解し、特にセクシュアル・マイノリティの問題などはこれまで取り上げてこられなかった問題であることも確認しておきたいと思います。私の地元では高岡市の男女平等推進センターで、一度ゲイ、トランスジェンダーの講座が市民企画講座で企画され実行される運びとなっていましたが、直前になって企画者ご自身の都合で実現できず、その後まだ一度も取り組みはなされていません。
次に、id:tummygirlさんがおっしゃった以下の3点について意見を述べます。
■30代女性学者について:「30代研究者=エリート=勝者」という乱暴な区分をしているというご指摘についてはですが、これはtummygirlさんもおっしゃっておられるように、私は「30代」論を立てたわけではありませんし、決してこのようには見ていません。また、「女性学の権威主義を30代女性学研究者に転嫁してまるで他人事のように批判」しているつもりは毛頭ありません。
そのように誤解を招きそうな部分があったようなので、ちょっと補足します。私が具体的に言及したのは、佐藤論文の内容についてだけで、わたしは当事者ではないので30代女性学者の方どうぞと申しあげたら、tummygirlさんが「30代女性研究者です。」と書き込まれたのではなかったでしょうか。
きのうテレビで、小学校非常勤教員の女性で、非常勤では生活が成り立たず月3万円の生活保護をもらっている方が出ておられました(30代の方ではありませんが)。小学校事務職から苦労して教員免許をとったにもかかわらず生活保護をもらうことになったというものです。
私自身同じ非常勤教員であり、とても他人事とは思えませんでした(たまたま家族がいるためにそういう事態にはなっていませんが、そういう身分なのだとよ〜く認識しました)。30代であってもなくても常勤職をとれずに非常勤やりまくっている方をたくさん知っているし、とんでもない誤解です。以上、補足させていただきます。
■tummygirl さんのおっしゃる「「ジェンダーフリーは要するに男女平等だ。女性差別撤廃だ。」という論調は、ちょっと困ります。」ですが、私の方に説明不足があったかもしれませんが、このような議論はしておりません
例えば、「女性学」という名の実践活動が男性研究者を拒まないように、「男女平等」という名の活動がセクシュアル・マイノリティの問題解決を排除しているとは思いません。先に挙げた高岡市の男女平等推進センターでの例にみるように、実際に男女平等施策においてもジェンダー・セクシュアル・マイノリティの問題を扱うことができました。「男女平等」を掲げても全然問題ないと思います。取り組む必要があると思います。「ジェンダーフリー」でなければ取り組めないということは、ないと思います。
■「女性学」や「女性運動」という言葉:大ざっぱだというご指摘がありました。わたしは、女性たちが生活の中で抱える問題を社会のシステムの中で解決していくために具体的なプログラムをつくり、またその実現のために社会的、政治的な取り組みをしていくことが究極の女性運動と考えております。とはいえ現実的には、生活の中で抱える悩みや課題をどうしたらいいかと考え、行動することを広く女性運動とみなしています。また、女性学は問題解決のために、例えば実態把握のために調査をしたり、具体的なプログラムを考えたりあるいはそのための基本的な考え方の議論をするものと、これも大ざっぱではありますが、考えています。
このように断った上で、わたしのテーマである現在の「男女共同参画」運動や行政と女性運動の関係などについて広く意見募集をしたいと思います。実際に、女性問題があがってくるのは女性センターなどである場合が多いと思います。女性センターなどで働いておられる方もこのブログに来て下さっているようなのでぜひ直面している問題や、感じておられることなどを書いていただけたらと思います。このブログが意見交換の場になることを望んでいます。「バックラッシュ」の人たちが見ているから議論しない、というのでは議論が発展しないと思うのです。
【追加】千葉では女性センター自体がいらないという主張が出てきているようです。女性センターはだれのためにあるのか、何をするところなのか、また今どんな男女平等政策が必要なのか、そういったことについても話し合えたらいいと思っています。
次に、borther-t さんの以下のご指摘についてです。
「「賢者」が出す「正しい事」に軽い判断で乗ってしまいその「正しい事」が見逃す、あるいは軽視する問題点への検証することを怠って「正しい事」をただひたすら押し出す様がさもファシズムのような構造」になっているのではないか」
「女性学(?)に必要なのは「ジェンダーフリー」,「男女平等」のどちらが正しいとか言うのではなく,その正しい事に内包した矛盾点をきちんと語っていく事ではなかろうかと思います。」
「今のままでは(中略)結果的に反原発運動と同じ様な形でバックラッシュが起きていると感じるのですが如何でしょうか?』
私は70-80年代にかけて、消費者運動、反原発運動に関わっていたので、槌田敦の名前は懐かしかったです。
で、今の女性学に「ファシズム」は言い過ぎにしろ、閉塞感を感じるというのはそうかなと思います。確かに、女性学の内なる矛盾点をきちんと語っていくことが大事だと思います。
きっとbrother-t さんは、わたしも含め女性学や女性運動の議論が広がりがなく硬直化したように感じられるのでしょうね。女性にホームレスがいないのではなく、女性は働いていなくてもおかしいと思われないのだという主張など興味深く読ませてもらいました。日頃フェミニズムに批判的なサイトの方々がおっしゃることにも一理あるなあと思って勉強させてもらっているところです。
ところで、槌田氏の主張を読んでいて思ったのは、山口智美さんと私が「ジェンダーフリー」の女性学・女性運動にについて言っていることは、槌田氏が環境問題に関して行政や市民運動がとった方針に対して批判していることにあてはめて考えるとなんか見えてくるなあということでした。
槌田氏が言っている「日本が、海外の動きをいかに換骨奪胎して導入することによって事業者責任を骨抜きにしているかを、市民・自治体の方々に理解していただければ、と思う。いまや資源循環型社会づくりの中身そのものを批判していかなければならない時代になったのである。」という箇所も興味津々です。
「ジェンダーフリー」導入の過程はまさに、行政や学者が「海外の動きをいかに換骨奪胎して導入」ということであり、槌田氏が環境行政・環境市民運動に対して言っている「換骨奪胎」という批判は、「男女共同参画社会」についての行政・市民運動にもあてはまるように感じました。
リサイクル法のことについても、「国主導の立法により、自治体主導の事業者責任追求の動きが封じ込められたともいえる。」というところも、男女共同参画社会基本法や条例などにより、「ジェンダーフリー」論争に終始してしまい、均等待遇などに関する「企業や行政など事業者責任追及の動きが封じ込められた」とも言うことができるわけで、なんだか興味深く思いました。
槌田氏の引用はここから引きました。http://www.ywad.com/books/473.html
というわけで、今後ますます 立場や考え方をまったく異にする人たちの意見などもしっかりきいていかねばと思います。もちろん、雑な議論ではまずいというtummygirlさんのご指摘は肝に銘じたいと思います。
女性学や女性運動は、異なる立場の人たちに開かれた場であると思っています。ぜひいろんな立場からご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。