イダ・ワールドと「暴力」と「反動」

連休中に「日本女性学会学会ニュース」106号が届いた。
なんだか、最初から最後まで本ブログでも話題沸騰中の伊田氏関連の記事がやたら目立つ。伊田氏が司会をされる6月の学会大会シンポのお知らせ記事、伊田氏執筆のジェンダー概念に関する「シンポジウム報告」記事、関連情報として伊田氏執筆の男女共同参画/ジェンダーフリーバッシングに関する本の刊行。最後の頁に、会員著書紹介としてトップに伊田氏の著作が紹介されている。6月10日開催予定の学会大会プログラム以外はあたかもイダ・ワールド炸裂なのだ。伊田氏のプライベートな学会でもないのに、理事だか幹事だかとはいえ一人の人がやたら執筆するのはちょっとヘンだと思いませんか? 女性学会の会員さん。



その内容にも疑問がある。伊田氏は、担当されるシンポについての記述で、フェミニズムバッシングを「広義の暴力状況の蔓延である。あるいは暴力への鈍感さの広がりである」と書いていた。だけど、フェミニズムへのバッシングは、リブ運動の時からあったわけで、最近急に「暴力」が蔓延したわけでも、「暴力」に鈍感になったわけでもないのではないか?


さらに、DVなどの取り組みを通して「暴力に対するフェミニズムのまなざしは、より深くよりセンシティブな側面へと向け変えられ、暴力の内面的な理解において、「トラウマ」の概念を不可欠とする暴力理解をもたらしてきた」ともある。やはり、「内面理解」=「意識」の問題としたいようだ。


リブ運動時代から、いやリブ運動などかつての運動のほうが「ヒステリック」や「赤い気炎」などと感情的な批判を浴びまくっていた。世の中全部を敵に回していた感覚だった。「トラウマ」というならその時代の方がはるかに深い傷を負っていてもおかしくない。それに比べると今は、国会を全会一致で成立した男女共同参画社会基本法があり、また政府や地方自治体が後押しする男女平等政策がある。昨今のフェミニズムへのバッシングは、「暴力」と呼ぶにふさわしいだろうか。


内部を一色に塗り固めようとするだけで、「ジェンダーフリー」の誤訳問題やその後の取り繕いのため、「ジェンダーフリー」の意味が論者によってまちまちにばらけ、一般に通用するものすらなくなってしまっているが、これがだれによってどういう過誤があったかには目をつぶってだれも振り返らない。(詳しくは、http://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/B.htmの諸論考を参照ください)


しかもこの機に乗じて男学者が主導している。この現状こそ、リブ運動をはじめとする70年代以降の性差別撤廃を目指してきた女性運動の立場から見れば、女性学・行政連合体による「反動(バックラッシュ)」と映る。


反動とは、「歴史の潮流に逆行して、進歩をはばもうとすること」(広辞苑)という。「ジェンダーフリー」という市民の「意識」啓蒙策で議論が沸騰している状況は、女性運動の歴史を遡ってみれば、いかに後退した議論かわかるはずだ。


「わたしつくる人、ボク食べる人」というハウスCMを、「従来の男女の役割をますます強固にする働き」をするからと、断固抗議し、それをからかった週刊誌『ヤングレディ』を裁判闘争までしてとうとう紙面へのアクセス権をみとめさせた「行動する女たちの会」の活動は、今を去ること30年余の1975年のことだった。これは、女性運動が「意識」改革運動を行い、実績をあげた一例だ。


女性運動は、リブ運動以降ずっと一貫して人の意識の問題が重要であるとして、辞書やメディア表現、教科書などの性差別的表現を調べあげ批判し、その状況を地道に改善させてきた。成果をあげてきたのだ。



しかしながら、それだけでは状況は変わらない。意識だけではなく制度、慣行をも変えようといってできたのが男女共同参画社会基本法やその後の市町村の男女平等条例だ。そこまで来たのに、また「意識」論争に逆戻りさせてしまったのが、女性学・行政連合体による「ジェンダーフリー」擁護派の動きである。しかも、この「ジェンダー・フリー」論争は、女性運動にとって何が得られるというのか。単に「擁護せねば」といっているだけで、達成目標は見あたらない。逆に、「意識」政策へと時計の針を数十年後ろに戻されたことになる。この状況をどうやったら変えられるのか、、、。


やっぱり女性運動の歴史を振り返ることからしか解決策はみつからないような気がする。