「ジェンダーフリー」の謎解き

今朝は土曜日だが、『バックラッシュ!』キャンペーンブログは粛々と仕事をしている。http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060603 昨晩、でびゅ〜ぼ宴会で盛り上がったわたしたちには、ああえらい!と頭が下がるばかりである。


なんと、ニューハンプシャー大学の教育学者バーバラ・ヒューストンさんの「ジェンダーフリー」概念に関するコメントが掲載されているのだ。
バーバラ・ヒューストンといえば、みなさまご存じ、東京女性財団が「ジェンダーフリー」を日本で導入した際に、アメリカで「ジェンダーフリー」を推奨している学者としていつも名前があがる有名人だ。しかし、なんとヒューストンは、「ジェンダー・フリー」はダメで「ジェンダー・センシティブ」をオススメするという主張をしているのだ。「ジェンダー・フリー」がなぜまずいのかを知りたい人は、さっそくhttp://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060603をクリック!
 

今回、ヒューストンがどういう意味でこの言葉を使っていたのかが始めて本人の口から語られ、日本語で読めるのは、「ジェンダーフリー」に関するなぞ解きとしても、とてもスリリングでおもしろい。


このコメントを引き出して来たのは(翻訳したのも)山口智美さん。彼女のブログでも紹介されている。http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/221.html さらに、「ジェンダーフリー」の日本で誤解されまくった様子に関心がある人は、「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(1)& (2)  山口智美 http://homepage.mac.com/tomomiyg/gfree1.htmへ。


ヒューストンは「ジェンダーフリー」を捨てて、「ジェンダー・センシティブ」な教育を進めるべきだと以下のように言っている。

私たちはジェンダーを無視したり、解消しよう(「ジェンダー・フリー」)とするのではなく、ジェンダーにより多くの注意を払うべきだというものです。この方針はジェーン・マーティンによって最初に紹介され、教育における「ジェンダー・センシティブ」アプローチと名付けられたものです。私は、これこそが、ジェンダー・バイアスがない教育制度や、一般社会を本当に目指すために圧倒的によい選択肢であると考えています。

ヒューストンがダメだといった「ジェンダーフリー」を優れたものとして取りいれた東京女性財団、このいい加減さにどう落とし前をつけてくれるのでしょう。

もし、ヒューストン論文がちゃんと正しく引用されていたとしたら、日本では今頃「ジェンダーフリー」に代わり、「ジェンダー・センシティブ」という言葉が普及していたのでしょうか。歴史にifはないのでしょうが、ヒューストンの読み直しは、少なくとも日本の教育の今後を考える上で避けては通れない通過点であることは確かだと思う。