北京女性会議にチャーター便で参加した富山県の女性たち

 『バックラッシュ!』キャンペーンサイトで議論になっていた富山の女性運動についてちょっと書いてみたいと思う。議論はここです。http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060610/p1 行政と市民との関係について一言で言うなら、富山は行政の力が強い土地柄だろうと思う。女性に関することでも同様で、多くの事柄で行政主導型の活動が展開されている。前に男女共同参画推進員制度のエントリーを書いたことがあったがhttp://d.hatena.ne.jp/discour/20060519、それも行政が音頭をとって物事が進むという富山の状況を表している好例だ。男女共同参画行政についても、富山県富山市高岡市などが国の方針を受けて行動計画や条例をはやばやと策定していった。富山県男女共同参画条例がいい例で、富山は2001(平成13)年2月、確か、全国8番目に成立させた。http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1712/kj00000678-003-01.html 前文も書かず特色のないものを5ヶ月のスピード審理で策定したのであった。これは性差別や男女平等問題について富山県民や富山県内の行政が関心が高かったというより、県内の行政関係者が国の動きに敏感で、動きに乗り遅れる(負ける?)のがイヤだという理由からだろう。富山県民は優等生意識が強いのだ。

 というわけで、富山では女性問題に関しても、動きは行政周辺から起きることが多かった。北京女性会議に富山空港からチャーター便を立てて大挙150名が参加し、全国ニュースになったのは記憶に新しい。これは富山県婦人会のみなさんだったが、この方たちが後々富山で性差別問題に取り組んでおられる話は聞かない。むしろ、富山県最初の女性センターである富山県女性総合センターサンフォルテhttp://www.sunforte.or.jp/が1997年に設立した際にちゃっかりその中に婦人会経営の料理専修学校を入れ込む策を盛り込んでいたことが発覚して女性たちから総スカンを食ったくらいだ。この密約?に気づいた女性たちが緊急決起して県と交渉して最後には取りやめさせ、事なきを得た。この時の女性運動は現在も女性センターを考える会として継続している。ニューズレターも月1回発行されている。なお、サンフォルテまわりの団体についてはhttp://www.sunforte.or.jp/group/group_B.htmを参照。ちなみに、富山県女性財団の役員http://www.sunforte.or.jp/zaidan/data/009.pdfには、副理事長として県婦人会の会長(現在は交替されたようだ)が名を連ねている(富山県女性団体連絡協議会長名)。


 再来年2008年10月には日本女性会議が富山県で開催される。その実行委員会がつくられたようだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060608-00000244-mailo-l16高齢の方が中心で会長さんは杖をついて歩くのも大変そうだよと心配する声も聞いた。この実行委員会は富山県女性団体連絡協議会の面々が中心なのではないかと思うが、よくわからない。私の日々の行動とは接点のない人々なものだから、、。男女共同参画の行政の動きと婦人会や女性団体連絡会など行政周辺の女性団体のエピソードをちょっと書いてみた。2008年の日本女性会議に参加される方もあるだろうが、う〜ん私にはこれからどう動いていくのかよくわからない。きっと行政主導で粛々と落ち度なく進められるのであろう。なお、富山県行政、国行政の男女共同参画の動きを対比的に示してくれているのが、http://www2.city-takaoka.jp/gec/nenpyou.html。他の資料より一覧になっているのでわかりやすいと思います。