「生物学的特性」ってなに?
山口智美さんのブログ「男女平等教育=性別特性論」説は女性運動史を無視している」で性別特性論を乗り越えた日本の女性運動の実態を報告しておられる。以下、引用する。
「家庭科の男女共修をすすめる会」が発足したのは、1974年。会の記録集、『家庭科、男も女も こうして拓いた共修の道』(ドメス出版 1997)によれば、発足後すぐ、1974年9月、12月に開催された2度の集会のテーマは、「男女の特性をどう考えるか」だった。1974年の時点ですでに、特性論の乗り越えはテーマになっていたのだ。この家庭科共修運動そのものが、「男女特性論の否定」をベースとした、男女平等教育運動だったといえよう。
先に、わたしが「「日本でも北京会議後、性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために『ジェンダー平等』という場合もでてきました」(P.169)と書く」と書いたことに対してだ。船橋氏は、暗に「性別特性論を乗り越えた女性運動」は1995年の北京女性会議以降初めて登場したと言っていることになる。しかし、私は1990年前後の堺市や東京都での男女混合名簿運動を引用して、1995年以前にも「性別特性論を乗り越える運動」があったことを示した。今回の山口さんの指摘は、それよりはるか20年も前の1974年から、「男女特性論の否定」をベースとした、男女平等教育運動が存在していたことを明らかにしたものである。これに対して、船橋邦子氏らはどう反論されるのだろうか。興味がある。
念のために、船橋氏の「性別特性論」の定義に関する箇所を引用しておく。そこで新たな疑問が浮上した。「性別特性」とは「生物学的特性」という点だ。
女性差別撤廃条約の説明をしつつ、「この条約は第五条で伝統の中で固定化されてきた役割分担に基づく偏見や慣習、慣行を撤廃し、社会的・文化的な行動様式を修正することと明文化しています。第五章(ママ)は、母性は『本能』、つまり女性全員に生まれつき備わったものだと考え、家事育児、介護などが『嫁』『妻』『母親』の役割であることをあたりまえとし、それらの役割にふさわしいとされる『女らしさ』『男らしさ』が、日々の行動様式、慣習や慣行によって社会的・文化的につくられていること、つまり、社会的、文化的につくられた性差、ジェンダーが女性差別の最大の要因であると認識し、それらをなくしていくことを謳っています。
換言すれば、男女には生物学的に特性があり、特性に基づく性役割を自明とする性別特性論を克服しなければ、女性差別はなくならないということです。このように、女性差別撤廃条約は、それまでの男女の違いを認めた上で男女は平等という男女平等論とは異なる新しい平等論に立脚したものだと言えます」(『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング――バックラッシュへの徹底反論』p.166)
「生物学的特性」って何だろう? 「メスの特性としての母性」ってことなんだろうか。生物学的差異のことなんだろうか??また、「社会的、文化的につくられた性差、ジェンダー」「それらをなくしていく」・・・これもまずくないか。「性差をなくしていくこと」が「ジェンダーフリー」と読まれかねない。で、改めて女性差別撤廃条約を調べると(文部省仮訳)、以下の通り。
第五条_ 締約国は、次の目的のためのすべての適当な措置をとる。
(a)両性のいずれかの劣等性若しくは優越性の観念又は男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること。
(b)家庭についての教育に、社会的機能としての母性についての適正な理解並びに子の養育及び発育における男女の共同責任についての認識を含めることを確保すること。あらゆる場合において、子の利益は最初に考慮するものとする。
「生物学的特性」に該当する語彙はどこにも見あたらない。日本の「ジェンダーフリー」学者が新たにつくり出した言葉なんじゃないだろうか。問題は、「性差別をなくすこと」。劣等性や優越性を作り出すものを修正することがポイントである。あたかも「女らしさ」や「男らしさ」が重要であるかのような特性論を後から持ち出すからヘンになったのだ。船橋邦子氏らの「性別特性論」や「生物学的特性論」は、日本での議論を差別論から特性論(らしさ論)へと曲げた悪しき主張だと思われる。しかも、女性運動が差別撤廃で闘っていたのを、1990年代以降に遅れてきて時計の振り子を前に戻しているようだ。どうして運動の成果をつぶすようなまずい議論を後になって持ち出したのだろうか。これでは差別撤廃がどっかに飛んでしまうじゃないか。