上野千鶴子氏からの応答とわたしの主張

http://d.hatena.ne.jp/discour/20060703上野インタビューについての感想その2 リブとの対比論でのわたしの主張に対して、上野千鶴子氏からの応答がメールを通じてありました。ここに転載されることは自由とのことですのでアップします。わたしはこれでも納得しているわけではなく我が道を行きますのでわたしのコメントも下に付け加えます。
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リブ叩きと、ジェンダー・フリー叩きが「違わない」と斎藤さんがご指摘の点について。メディアの言説分析から、たしかにリブ当時にも男性側の感じた脅威や不安は指摘できるだろうとは思いますが、以下の三点でわたしの現状認識は斎藤さんとは異なります。
1)リブ叩きには、冷笑や揶揄など、江原さんの「からかいの政治学」があてはまる言説が多かったのに、ジェンフリ叩きには相対的に見られないこと


2)バックラッシュ派は名前のとおり、自分たちが危機に立っているという認識があるが、リブ叩きのメディア言説は、自分たちが多数派であることを疑っているとは思えないこと


3)当時と今とでは、リブ/フェミニズム言説の浸透度と影響力が圧倒的に異なること。


1)と2)は言説レベルで、どなたか(斎藤さんが)検証してくださるとよいと思いますが、3)の歴史的背景については(厳格派構築主義者なら文脈主義、というでしょうが(笑))、多くの方が同意なさるだろうと思います。
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以上が上野さんがおっしゃったことです。で、わたしはこれに対して次のように思います。

わたしの論点は、リブ叩きと、ジェンダー・フリー叩きが「違わない」、つまりいっしょだといいうことにあるのではありません。上野さんはジェンダー・フリー叩きが他の運動の叩かれ方より深刻だと主張しておられるようです。しかし、それは違う、運動はずっと叩かれ続けてきたのではなかったかという主張でした。

それで例に出されていた リブ運動について、リブ運動もしっかり叩かれていましたよ、と答えたのでした。ただし、わたしの真意は、ジェンダーフリー運動以前の女性運動も、いつも激しく叩かれていましたよ、という点にありました。リブ以降の75年の国際婦人年をきっかけに行動する会なども「ヒステリックだ」などと派手に冷笑や揶揄され叩かれていました。ここはそれを裁判闘争に持ち込んで、『ヤングレディ』の紙面を数頁にわたってゲットし、自分達の主張を正々堂々と掲げました。快挙だったよな〜と思っています。


あ、話がずれました。で、上野さんの1)については異論ありまくりです。「ジェンダーフリー叩き」について、ネット上には、冷笑や揶揄があふれていますよ〜。ちょっといいづらいですが、上野さんご自身もいろいろ対象になっておられるような・・・。ネット人のみなさんは、よくご存じのことですが、、。上野さんもぜひネットを覗いてみてください。活字上だけご覧になっていると、「からかい」が少ないと思われるのかもしれませんが、、、。


2)と3)については、上野さんはわたしの疑問に対して、リブと90年代ジェンダーフリー運動叩きが違うことを背景などを含めて示そうとなさっていますが、わたしの疑問自体がそれではありせん。当時と今とでは、言説自体も背景も異なっていることは疑いがありません。
わたしの真意は、繰り返しになりますが、ジェンダーフリー叩きをことさら深刻だと受けとめることが運動の方向を見誤らせるのではないかという懸念です。


わたしの懸念はジェンダーフリー運動によって女性問題が解決から遠のいた、後退戦になっているということにあります。これについては、http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060707が書いておられるのに同感ですのでリンクしておきます。クリックしてご参照ください。以上長くなりました。このように上野さんと率直な批判、再反論ができるのは、ちょっと予想を超えていました(笑)。ネット世間では関心の薄い女性運動ネタです。せいぜい発展させていけたらいいのではないかと思います。ヨロシク。