「富山型女性医療」のゆくえー女性クリニックWe富山での対談

前エントリーで書いた女性クリニックWe富山で開かれたハッピーウイメンズプロジェクト企画の対馬ルリ子医師と種部恭子医師の新春対談「いま注目の婦人科医師2人が語る女性医療に求めるもの」に参加した。紅茶やコーヒーにスコーンやケーキつきの講演会。会場は満員で、知っている女性たちともたくさん出会えた。ほんと、行ってよかったと思えた。


対馬ルリ子ウイミンズ・ウエルネス銀座クリニック院長のお話では、今では女性が妊娠、出産を経たり経なかったりして更年期を迎えてもまだ人生の半分にしか到達していない。それ以降の「産婦人」以外のリスクを女性医療は対象にしなくてはならない。しかし、男性中心の医療ではそうした発想は持てない。成人病検診などでも女性の多くが罹患する病気を診断対象に入れていない。また、女性の医療は、身体的要因のみならず、女性ホルモン関連要因ならびに心理的要因の3つを総合的に見なければならないという説明にはうなづかされた。そうした発想から、銀座クリニックでは、アロマセラピー鍼灸をも医療の中に取りいれておられることに新しい方向を感じた。性差医療(gender-specific medicine)が話題になり、女性外来は開設されるが(全国で234もの女性外来があるという)、男性中心の医療体制を変えようと主張しているところはそう多くはないということだった。そうした方向で女性医療ネットワークを立ち上げておられる。


また、種部恭子院長の話は、婦人科というところは、癌の女性や不妊の女性などが妊娠した女性の横で恥ずかしそうにいくところだったという話から始まった。種部さんは、対馬さんが女性のための医療センターを設立し、「のろしを上げられた」ことに刺激を受けて、ずっと17年間、疑問に思い続けてきたことを形にしていくことを決めたと語った。しかも、対馬さんの銀座クリニックに合流したらそんなにやりやすいことはないが敢えてこの富山で新たに男性中心の医療を変える動きをつくっていこうと考え、この「女性クリニックWeとやま」を立ち上げた、とアツイ思いを力強い調子でしかもテンポよく語られた。


そして、種部さんの「富山は米騒動の地、女性たちが元気だ。富山から男性中心の医療を変えよう」はほんとにそうだと心強く思った。昨年から始めた「女性クリニックWeとやま」は、「女性医療の富山型」である。富山型といえば、医療福祉の分野では、惣万佳代子さんらの「このゆびとまれ」や野入美津枝さんらの「おらとこ」、阪井由佳子さんらの「にぎやか」などの富山女性が立ち上げた「富山型デイサービス」がある。子どもから高齢者、障害者などだれでも来たいときに来てどんなサービスでも受けられるという消費者主体のケアサービスだ。いずれもすばらしく元気で、けた外れに魅力的な富山女性のパワーによって幾多の苦難を乗り越えて新たに創造されたものだ。これが、いまや日本全国に広がったモデル事業となっている。種部さんの発言はそうした富山女性が新たな動きを作り出している実態を踏まえたものだ。


「富山型女性医療」は、単に女性外来を始めるとか、女性医療の施設をオープンさせるというだけではなく、社会背景を考慮した医療ということだった。医療に加え、アンチ男性中心主義という視点をもったフェミニストカウンセリングによる相談事業とハッピーウイメンズプロジェクトというNPOによる社会問題の解決という視点をもった事業という3本柱で進めていくということだ。フェミニストカウンセリングも1時間4千円というお値段とのことだった。うーん、これで今の診察にあまり点数がつかない医療体制で成り立たせるのは大変と思うと同時に、ぜひ踏ん張ってこういう動きを富山から地域に根付かせていかせなくちゃと強く思った。そしてそれを全国に広げて行けたらいいなあと思う。それに、かかりたい婦人科医師がみつかったというだけでもうれしいではないか。


種部さんによると、富山の女性は待遇のよくない中でもまじめによく働くから過重労働だし、患者さんの話をよく聞いてみると実はDVも多いということだった。富山は地域的にもコンパクトで東京などと比べて集まるのに便利な土地だ。それに、東京のような中心からは物事は変わらないものだ。物事が変わるとしたら周縁からというのがだいたい世の常だ。事態が深刻であるから変えようという動きが強まり、そこから変化が起きるからだろうか。


それにしても対馬ルリ子医師のなんともいえない柔和な包容力と種部恭子医師のキレのいいパワフルさの妙がなんとも魅力的な対談であった。東京からの対馬医師らのご一行は富山でのおいしい魚とお酒を楽しまれたそうだ。一度、こちらからも銀座の対馬医師らのクリニックにもお邪魔してアロマエステなども受けてみたいと思った。みんなで食べ歩きを含めた銀座ツアーをやりたいねと話しつつ帰った。


付記すると、女性医療の求める方向性として「わたしの全体を診て」という女性たちのニーズに合わせるというお話があった。70年頃に始まる日本のウーマンリブ運動が性や身体のあり方を問い直す際にしばしば、「部分としてではなく、全体性をもって生きたい」「総体としての女として生きる」などという主張をしていた。「女性医療」はそうした女性運動の思いが実現するってことだと思うと運動オタクとしてはいっそう感慨深いものがあった。