女性運動が今後担うべきこと

 藤原美妃子さんのブログで重要な指摘をみつけました。月刊『We Learn』6月号(日本女性学習財団)堀田碧さんの巻頭言「女性運動の成果をすべての人に−男女共同参画週間に寄せて」のくだりです。

たぶんどこの国でもそうだが、女性運動の担い手は、都市部に暮らす比較的裕福で高学歴の女性たちが多い。ふり返ってみれば、日本でもこの間、女性運動の立役者となってきたのは、女性の学者や大学生、行政機関や専門職の女性たち、また高学歴の専業主婦たちだった。さらに言えば、そのほとんどは「日本人」で「異性愛者」で身体的「障害」のない女性たちだった。・・・・
それには理由がある。そうした女性たちは社会的に恵まれた層に属しているので、差別されたり排除されたりする体験が比較的少なく、「女性」というただ一点で差別されて悔しい思いをし、「女性であるが故の差別」に気づき「女性運動」の先頭に立つ。やがて遅ればせながら・・・まず主張を聞き入れられたり参加を認められたりするのも、そうした女性たちである。

 恵まれた女性たちが先駆的に働くことが悪いのではない。問題はその後だ、と堀田さんは続けます。恵まれた女性たちが政治的・経済的・文化的な力を手にした「その後」。均等法から20年余、男女共同参画社会基本法から8年!微力であれ長い年月の中で手にした力は事実上「すべての女性」のために使っていくべき。(つまり、今はまだそうなっていない、ということです)恵まれない多くの女性と男性に役立てていくことが必要で、女性運動の真価が問われるは、まさにこれからだ、と。

社会に参加することが認められたなら、不十分であってもその力を今度は「多くの恵まれない女性たち、また男性たちのために役立てるべきだ」という指摘こそ、しっかりと受けとめていきたいと思った。