ブログ名に「ジェンダー」がつくことの悩み

 わたしは1997年頃から(もしかしたら96年だったか)「ジェンダーとメディア」というウエッブサイトを運営し、フェミニズムの主張を発信してきた。その当時、フェミニズムの主張を発信しているサイトは他にほとんどなかったように記憶している。(大学などや研究所などがHPをもつようになったのは1990年代後半であっただろうか)2004年からブログをはじめる際には同じく「ジェンダーとメディア・ブログ」とした。ウエッブサイトとブログを連動させて発信していこうと思ったからだ。
 しかし、最近になってこの「ジェンダー」を自分のブログやウエッブの名称としてつけていることに忸怩たる思いを抱くようになった。わたしが「ジェンダー」とつけた1996年頃は、お茶の水女子大学の「女性文化研究センター」が「ジェンダー研究センター」へと改組したり、女性学の論文や著作のなかで、「ジェンダー」が性別に関する社会的権力関係を表す概念として注目されだしたという状況であった。
 しかし、それからほぼ10年の現在は「ジェンダー」をめぐる状況が当時とは一変している。下に引用する山口智美さんの「マスコミ学会ワークショプのレポートと感想」に見られるように、主流フェミニズムが「ジェンダー」概念を理想化し、「フェミニズム運動の重要な金字塔」のように崇められたり、フェミニズムへの攻撃から死守すべききわめて重要な概念と叫ばれるようになっている。

 日本で保守の攻撃から守るべき重要な概念とされるようになってから、「ジェンダー」概念がなんでも詰め込まれる融通無碍な袋のようなものと化している。そうした現在、「ジェンダー」概念を死守しようとする主流フェミニズムに大いに疑問を感じているわたしが、ウエッブで使いはじめたのはわたしの方であるものの「ジェンダー」を使い続けるのはどうも居心地が悪いと感じるようになっている。しかも、2004−5年くらいまでは、「ジェンダー」で検索される方が多かったが、現在では「ジェンダー」で検索される方も以前ほどではない様子である。
 というわけで、「ジェンダーとメディア」というブログ名称を変えようかどうしようかと悩む日々である。 代わりの名称を公募するとかしたらいいのかな(笑)。

 下に山口智美さんのマスコミ学会レポートの該当部分を引用しておきます。

2)フェミニズムへのバッシングの歴史
 斉藤さんはリブへのバッシングについて、私は主に行動する女たちの会への75年当時、89年当時のメディアにおけるバッシング記事を紹介しながら、フェミニズムへのバッシングは何も唐突に2002年頃から起きたわけではなく、70年代から80年代、そして90年代と、ずっと起きてきていた事に言及した。もちろん、2002年頃からのバックラッシュがまったく同じような質のものではないわけだが、あたかもそれ以前にバッシングがなかったかとか、たいしたことではなかったように扱うことで、フェミニズム運動の歴史そのものが消されている側面があると思う。
 また、今現在、具体的な性差別撤廃に関する事柄より、「ジェンダー」という概念が過度に理想化され、これこそがフェミニズム運動の重要な金字塔なのだといったようなことが言われる傾向がある中で、この概念が日本に導入されたとよく言われる95年の北京会議以前の歴史が軽視される傾向にもつながってしまう。そして、歴史が継承されないことで、バッシングへの対抗もより困難になることが考えられるいった論点も出た。

3)フェミニズムのプレゼンス能力の低下
 チキさんから、Web 2.0どころか、「フェミニズム=運動0.5」状態であるという指摘がなされ、私は自身がフェミニズム系サイトの企画などに関わった経験も交え話した。その中で、フェミニズム系ブログやサイトがまだまだ少ないこと、あったとしてもインタラクティブとはほど遠く、更新もままらない状態のサイトも多いこと、ブログがあっても、情報の提示がうまくなく、読者が少なかったり、広い層の読者にとって有用な情報になっておらず、内輪向けの情報になっていることなどの問題が挙がった。