ジェンダーフリーからジェンダーバイアスへ、いつか来た道?

山口智美さんがアウェア「デートDV」ビデオの危うさというエントリーで、アウェア(山口のり子代表)のデートDV講座のビデオを見てそこで伝えられている内容に疑問を呈しておられる。すべての道はローマにつながるじゃないけど、DVはすべてジェンダー・バイアスからくるっていうことを強く印象づけるものだということは、以前、デートDV講座への疑問というエントリーを書いた時にも気になったことだった。そのエントリーを書いてから、その後、わたしのブログにジェンダー・バイアスで検索してこられる方がとても増えているのだ。わたしが検索してもジェンダー・バイアスはデートDVがらみで使われているようだから、きっと世の中的にデートDVへの関心が高まっているのだろう。というか、行政がデートDV講座を強力に押しだしている政策的なことがあるんだと思う。


そこで心配なのが、ジェンダーバイアスジェンダーフリーにとってかわってジェンダー関連語のなかでは新しいスター登場といった感じになっていることだ。真につたえるべきことをジェンダージェンダーフリーのように欧米&ジェンダー理論の衣を纏わせて主張しているときには、ちょっと待てよと立ち止まってみる必要があるように思う。これはジェンダーフリーが」引き起こした混乱からフェミニズムが苦しんで学んだ成果なんだと思う。目新しい言葉で新しい概念を提示したつもりで結局、それが単に目新しそうな言葉を引っ張り出した以上のものではない、というのはいつか来た道だったはず。ジェンダーバイアスのバイアスって偏見理論っていまじゃ社会学では廃れた理論をジェンダーに取り入れた感じがしてなんだかなーと思うし、英語圏の論文でジェンダーバイアスがよくでてきたのは1970−80年代はじめまでだったように思う。それが21世紀になった日本で目新しい言葉として人気を博しているのはやっぱり変だ。


目新しく、みなが飛びついている今だからこそ、変なものは変だといっていかないとジェンダーフリーの二の舞になるではないか。


最近は、男女共同参画センターはジェンダーフリーの混乱で啓発ジェンダー講座がやりにくくなったので、もっとも批判をうけずらいものとしてDV支援者養成やデートDV講座に力が入っているような気がする。しかし、だからこそ最後の砦たるDV講座で味噌をつけてはいけないのだと思われる。真剣な議論をしていきたい。