フォーラム米騒動に参加した

昨日、魚津市で開かれたフォーラム米騒動のディスカッション・バージョンに参加してきた。参加者のご発言から、地元では当時の「米を積み出すな」と要求した側とされた側の抗争とそれがもたらした大きな影響のしこりが残っているということに改めて気づいてびっくりした。


それと同時に、米騒動から90年経つにもかかわらずそうしたしこりが色濃く残り、米騒動をおこして世の中を変えたというその事実を認め、それを誇りに思い、そうした事実をなんとか伝えていきたいと思っている人たちもおられること、そうした方達がしがらみを乗り越えて前に向けていきたいと「フォーラム米騒動」を始められたのだということもわかった。


今年は米騒動90周年。当時の建物として唯一残っている魚津水産さん使用の米倉も相当朽ちてきていることもみなさん心配そうに語っておられた。このフォーラム米騒動への参加者は100名を軽く超えているという。それだけの方が今も米騒動にアツイ思いや関心を抱いておられるという事実があるのだ。米騒動の90周年の今年、魚津から米騒動にちなんだ何か新しい動きが起きることを期待したいなと思って帰路についた。


[追記]

以前の米騒動エントリーに海人さんが書き込みをされていた件について一言。
「男の出る幕じゃない」「おやっさんは気ぐらいがあったのででなかった」がどういう意味であったのかをもっと深く考える必要があるというご指摘だったと思います。単にこれを「ジェンダーの問題」とだけとらえていいのかという問題提起と受け止めました。


当時の女で米騒動に参加したのはどういう職業、階層、立場の女性たちであったのか。また、米騒動に参加した男たちはどういう職業、階層、立場の男性たちであったのか。それらを丹念にみていくと、単純に「台所の問題だから女ががんばった」という結論にはならないはずというご指摘は、改めて『証言米騒動』その他の証言に当たってみて納得いたしました。


先に書いたフォーラム米騒動に対する地元の方の感想にもつながるのですが、女性の中でお男性の中でも実に立場の違いが大きいということです。参加した女性には仲仕の人たちが多く、また男性の参加者には、日雇いで働く人や仲仕、行商人などが多かった。一方、参加しなかった男性は役場につとめている人、沖仲仕の頭などがある。沖仲仕の頭領などは日頃の米商人とのつきあいがあるために参加しなかった(紙谷信雄『米騒動の理論的研究』)。社会において既得権力を握っている層は、男性も女性も参加しなかったということが言えよう。単純に女が参加し、男は参加しない(見ているだけだった)ということは言えない。以後、またまとまったら何か書くかもしれませんが、ジェンダーに特化すると見えなくなることがあるよというご指摘は傾聴したいと思います。ありがとうございました。


これって最近話題になっているアメリカの総選挙でのクリントンオバマの「女性」vs「黒人」問題にも通じる話だなと思います。クリントン支持の白人女性が「女性」を強調することよって、自らの「白人」の特権性が見えなくなるということに、、。