ニュースは県庁から発信される

昨日、7月28日早朝の南砺地方の大雨被害が激しかった福光町、城端町を訪ねる機会があった。わたしは被害の大きかった太美山地区の近くで生まれ育ったので、この地方はよく足を運ぶなじみの地域である。昨日も父とこの地を訪ねて現地のあまりの変わりように驚きの声を上げると同時に、ニュース報道が富山県庁や南砺市役所の対策協議中心で現地取材がとても少ないことに疑問をもった。

この大雨被害は小矢部川やその支流が上流で決壊して、前代未聞の大惨事を引き起こしたものだった。下流だと濁流が決壊するということはままあることだが、上流では川も細いし決壊することはあまりないことである。それなのに、たった2時間ばかりの雨でこのような甚大な被害になった。土地の人は、こんなにいいところはないと思っていたのに、と絶句しておられた。

この水被害は全国ニュースにもなったものだが、当時は大したことがないとわたしもたかをくくっていた。きのうも、わたしはニュースで知る程度の情報で現地にたまたま訪ねるところがあって足を運んだのだが、川岸はつぶれ、山はあちこち崩れ果て、人びとはどこでもその話でもちきりであった。町で出会った人たちは、人生で初めてであった自然の恐ろしさを口々に堰を切ったように語られた。山は崩れ、道路は切断されという状況で、ニュースからの予想をはるかに超える被害でびっくりした。村が孤立していたという立野脇の少し手前まで車で行ったのだが、道路は寸断されあちこちで川や道路を補修するための作業が急ピッチで行われていた。北日本放送では、 孤立集落 1日にも解消へと立野脇地区の孤立が解消されることや 大雨被害、農作物など今後の対策はといった農業被害についてのニュースを流している。しかしながら、どちらも県や市が対策会議を開き、対応を話し合ったという役所の対応に主眼が置かれるのは疑問だ。

しかも、北日本新聞でも立野脇あす孤立解消 金沢・湯涌・福光線通行可能にという記事は北日本放送同様に記者が富山にいて書いた記事に見える。
被害のあった場所が県庁所在地である富山市から遠く離れた南砺市の奥座敷のせいかどうかわからないが、取材のフットワークが重く、被害者の立場に立った報道が少ない。昨日、石川県の被害を報道するニュースもたまたま見たが、それは金沢市内であったせいか被害があったなし園にカメラを伴ってでかけて状況をつぶさに報道していた。被害額が350万円規模のものであったにもかかわらず・・。南砺市の被害は恐ろしい額に上ると思われるが、報道をみている限り、その切実感が出てこないのだ。しかし、実際に旧福光町太美山地区の野菜スタンドいくと、買い物の女の人たちがこんどの大水がいかにひどかったかをひしひしと語っておられた。付近の用水はふさがれ、火事でも起きたら大変なことになると言われていたし、また今年の米はもう諦めているという話だった。水が確保できないのだろう。石井知事も視察に訪れたということであったが、報道とのあまりのギャップに驚いた。

次に行った桜が池のほとりの食事処でも、近所の人が来て城端の町中まで水につかったという話や、家の田んぼがひどいけど恐ろしくて手もつけられないとビールを呑みながらやや諦めがちに語っておられた。地元の人たちでは、補修工事に出る人足として雇ってもらえるのがせめてもの救いというような話もしておられた。出会った人たちが、みなこの話ししかしない。この水害は南砺地方のひとたちによほどショックを与えていたのだとよくわった。
報道の中ではネットでみる限りであるが、読売新聞がもっとも現時取材に熱心だ。集中豪雨 現地ルポ「着物、イワナ、全部流れた…」や、集中豪雨・田畑71ヘクタール収穫見込めずなどを読むと、現地に取材に出向いていることがわかるし、現地の状況も伝わってくる。逆にいうと、他の報道社は、現地取材があまりなかったってことか・・。

しかしながら、テレビも新聞も、ニュースは県庁から発信される。北日本放送はヘリコプターを飛ばして空から被害を撮影していた。それも一覧できるのでいいとは思うが、被害にあったひとたちの気持ちに寄り添う報道もほしいなと思った。それと、もう一つは被害者の声よりも県庁や市役所の役人の声の報道が多いことへの疑問だ。空から一覧し、県庁や市役所での対策協議会の模様が流されるだけでは、他人事扱いで心が伝わらないなあと感じた。市民の声より県庁の役人の声を重視していることにならないか。

報道の拠点が県庁や市役所などの記者クラブに置かれていることが災害報道においても悪しき影響を与えていることを実際に現地に行ったからこそ切実に感じさせられた。「ニュースは県庁から発信される」という記者クラブ制度の弊害を改めて感じた。