「女イチロー」ってどうよ

北京オリンピック、あんまり見ていないんだけど、今日の朝日新聞の見出しをみて気づいた「女イチロー」の乱舞。主将の山田選手が「女イチロー」と仲間から呼ばれていることを受けたものだというのはわかるんだけど、なんだかなーと思った。朝日の社会面のトップは「女イチロー千金弾」だった。朝日の版は、12版△バージョンです。他の版は確認していませんが、どうですか?
[追記ネット版がありましたので、リンクつけときます。「『女イチロー』主将・山田、千金弾」・・・朝日の中ではもっとも早い版である「12版△」よりインパクトは劣るものの「女イチロー」は死守するって感じが出ていますわ。。社内でどんな攻防があったのだろうか、校閲部さん。]

それでソフトボールの金メダル報道をちょっとググってみた。スポーツ紙は各社「女イチロー」を見出しに使っていますねー。

スポニチ勝負の第2打席 女イチロー山田が千金弾および、女イチロー山田、本家に刺激 「自分も」金宣言

サンケイスポーツ“女イチロー”山田、値千金ソロ弾/ソフト

スポーツ報知日本メダル「確」 女イチロー山田が導いた…ソフトボールと、
「女イチロー」山田千金弾!最後に米国倒した!…ソフトボール


東京新聞は、7月24日には金狙う“女イチロー” 女子ソフト 山田恵里選手とやっていたのが、8月22日の紙面では、見出しには使わず(ただ単に、以前に使ったから使わなかっただけかもしれませんが)「女イチロー」と呼ばれるバットコントロールというように本文での言及にとどめている。その上、このように山田選手を形容するのではなく、「バットコントロール」の巧みさを形容する表現に変えていますね。後者のほうが、なんで「女イチロー」と呼ばれているのかが理解できる点で、少しは読者フレンドリーだと思いました。

だが、彼女が周囲から「女イチロー」と呼ばれていることと、報道記事の見だしで「女イチロー」とやるのは同じじゃない。そもそも試合巧者だということを言うのに、どうして「女」であって「イチロー」並のうまさだという愛称を見出しにまでとって強調したいのだろうか。女子がいくらトップに立っても、「男Qちゃん」や「男やわらちゃん」と呼ばれることがないことからすれば、その呼称自体に男中心主義があることは明白なんだから、あえて見出しにもってくるのはどうかと思う。それに、これを見出しにもってこようとする編集者には、男中心主義への違和感がないことだけではなく、その前提にある思いっきり「性別にこだわっていること」に気づいていないだろうなと思えて、「どうよ」という気分になるのかなと思いました。

そこまで「性別」にこだわるのはどうよ? こだわられることでひりひりと痛みを感じるトランスジェンダーインターセックスの人たちのことに思いが至らないのかなと思う。「女イチロー」の見出しでの乱舞を見て、「男中心」の考え方や、「性別へのこだわり」に違和感ある編集者がその社にはいなかったってことがひしひしと伝わってような気がした。ねえ、朝日新聞さん。

[追記:8/25]コメント欄を拝見してのメモ書きです。

コメントの方たちがみな、「女イチロー」となぜ性別の強調をするのか、という点への疑問を抜いて、「男女優劣」問題に限定して議論されています。しかし、野球やソフトのうまさを表現するのに別に性別をことさらのように持ってくる必要はない。atさんのコメントを読んで気づいたのですが、この呼称は、男>女という優劣だけでなく、野球>ソフトという序列をも前提にした呼称です。atさん、ありがとう。この呼称が繰り返されるたびに、「男女」二つの性のいずれかに分けられる世の中を強化していることになる。それが、インターセックストランスジェンダーの人たちが生きづらい社会を作っているのだということに気づいてほしいと思います。


「女イチロー」って凄く生々しいネーミングだよなあというeastofさん、男性が女性中心とされる事(バレリーナとかシンクロナイズドスイミングとか)をやると「滑稽」とされるのも同じ事ですねというululunさんのコメントを読んで思い出したのですが、「女」には性的なイメージがはりついています。これは「人間」を表している「男」イコンにはないものです。「男」イメージには「女」にべっとりと張り付いているような「性」のイメージはない。それがあるからイチローに「女」の接頭語をつけると、いっしょに女の性のイメージが張り付いているので、ぐっと生々しくなるし、バレリーナとかシンクロをやる男も同様に、「女の性」と連動したイメージで連想されるから男の身体にはミスマッチ感があり、それが「滑稽」感を醸し出すのではないかと思いました。どうでしょう?