メディアリテラシー・ワークの報告

10月4日高岡市男女平等推進センターで行った女性の会連絡会主催「メディア・リテラシー」ワークショップについてご報告します。市民活動をしている場合にメディアで報じられることで世の中に広く伝わるということがあるが、わたしたちの活動はちゃんと世の中に届いているか?と問いかけた。女性運動が世の中を変えてきたのは、メディアとの連携がうまくいった場合である。米騒動しかり、戦後の婦人参政権運動、初めての婦人参政もそう。1970年代のウーマンリブ運動もそうだ。わたしたちももっと自分たちからメディアに近づいて市民活動について発信していこう、ということを話した。ちょっと未整理だったと反省しているような内容だったので、どこまで伝わったから心もとないが、市民活動をしている方達のメディアとのつきあい方においていろいろがんばったり、また課題ももっておられることなどいろいろとご発言していただけたのがよかった。また、メディアのつくり手の方にお二人もご参加いただけたので現場に即した話が出たのはよかったです。ご参加くださった元新聞社幹部氏、および気鋭の現役新聞記者氏に感謝です。

メディア・リテラシー」という考え方についてだが、女性運動が実質的にメディアリテラシーという考え方を実践してきたのだとわたしは考えている。近年はテレビ局やジャーナリストなどメディアの作り手が積極的に「メディア・リテラシー」という言葉を多用するようになっている。その時には、メディアの機器を使いこなし発信すること(メディアを使いこなすこと)という意味としてしばしば使われている。学校教育などでも取り入れられたりしているのはどちらかというとそちらの方であると思うが。

だが、今回は、女性運動がメディアリテラシーを実践してきたことについて取り上げたい。メディアが社会問題や争点について気づかれずに社会の多数派を形成していること、それが累積的に私たちの「現実」を作り出していることを認識し、メディアを主体的に読み解き、メディアに能動的にアクセスすることという活動をやってきたのは1970年代の女性運動であったと思うからだ。ウーマンリブ運動や国際婦人年をきっかけに行動する女たちの会は、さまざまな活動をする中でメディアに書かれたことに対して異議があればメディア企業に抗議したり話し合いをしたりした。「わたし作る人、ぼく食べる人」CMへの抗議、NHKへの差別的表現や社内の女性の待遇改善などの申し入れなどを行ったり、誹謗中傷の記事が書かれたら裁判に訴え、反論権を獲得してもいる。国際婦人年をきっかけに行動する会が、「ヒステリックですね」「本質から外れているのでは?」と非難を浴びせた『ヤングレディ』を名誉毀損で訴え、1980年1月22日号の『ヤングレディ』に3頁にわたる反論の誌面「女たちが拓く<女の時代>80年女はどう生きる」を手に入れたことがある。それは市民がメディアが書いたことに対して、おかしいと思えば反論する場を当該メディアの誌面に確保できる権利(「メディア・アクセス権」)が得られるという画期的な成果であった。

こうした実質的なメディア批判ならびにメディアへの提案活動が行われた後の1980年代に、日本ではメディアリテラシーという考え方が広まっていった。しかし、ことばや概念が広まったその前に実質的にそうした活動をしていたのは女性運動であったということを伝えたかった。市民運動があってその後に概念化が始まるという流れである。

かつての女性運動は今よりもっと激しくバッシングを受けていたが、それでもメディアに対して積極的にアクセスしていた。そうした活発なメディアへの申し立て運動があったが、今のわたしたちはどうだろう。もしかして、メディアをしきいの高いものと思っていませんかと問いかけた。記者会見やったり、メディアにファックス送ったりしたりとなんでもやればいいのではないかと問題提起した。それに対しては、いまは単に一つのメディアということもないし、ネットを含めてメディアが多様化しているのでそれを使っていくということではないかというご意見もでた。確かにそうだ。

途中から、旧知の新聞人がひょっこり顔を出された。かつてわたしたちメディアの中の性差別を考える会が地元紙はじめ富山のメディア関係者と学習会をしたりいろいろとメディアの性差別表現についてメディアの作り手の方達と激しい議論をしていた当時ある社の管理職であった方だ。
この元新聞人氏は、現在の地元紙は大事なことを伝えていないと元記者として大変残念に思っておられる様子が伝わってきた。体制に批判的な運動については書かないというスタンスが以前よりもずっとはっきりしているとおっしゃっていた。しかし、中にはいろんな記者がいるからねばりつよく意見を言っていってほしいというメッセージだった。メディアはしきいが高いように見えるけど決してそんなことはないのだからもっと積極的にアプローチしてほしいとおっしゃていた。へえと思ったのは、この方は辞められた現在でも、新聞は「主観を入れない客観報道」や「ニュースバリューの基準」を信じておられることであった。
わたしは、メディアはストレートじゃないさまざまなやり方で記者の主観を伝えていると思うし、主観のないニュースはないと思っている。記事の大きさを見るだけでもそこに重要、些末という主観が入っているわけだ。また、メディアのニュース価値といってもご自身がおっしゃるように記者の中にもいろんな考えの方があり、その考えに合う合わないで記事になったりならなかったりするわけである。ニュースバリューといっても解釈次第である。また、マイナーな活動はニュースにならないのだから、メディアのニュースバリューをを変える勢いで自分たちの主張や活動の意義を伝えていきたいと思っているので、その点はスタンスの違いを感じた。

しかしながら、世の中を変えていきたいという強い熱意と市民運動にかける熱さを感じさせてくれる元新聞人氏のご参加であった。また、気鋭の記者氏は、富山県は人口に比してメディアの記者の割合が多いように思う。富山は情報発信するのに恵まれた環境かも、ということを後でおっしゃっていた。作り手を交えての話し合いは久しぶりだったが、なんらかの形でこういう学習会を続けていけないかと思った。私自身にとっていろいろと勉強になる機会であった。ご参加くださった20名ほどの方、お世話くださった女性の会連絡会の役員の方々、ありがとうございました。