『インパクション』の特集「米騒動90年 いま食と貧困を問う」
この号で「女一揆としての富山・米騒動ー女性運動という観点からの読み直し」を書かせていただきました。魚津でのフォーラム米騒動で話した内容をブログで書いたことがきっかけです。該当記事は、米騒動話その1ー「主婦」の哀願運動か米騒動の話その2 「女一揆」と呼ぼう米騒動の話その3 米騒動と「女性運動」「女一揆」を女性運動と呼ぶ理由 ですが、それらを書き直したものです。
現在進行中の金融危機とグローバルな食糧価格の投機的な高騰が進行している中、世界各地の民衆が食糧高騰への抵抗と抗議の「暴動」を起こしてきた。この特集は、米騒動90年を現代の中に位置づけ直そうとする試みであり、90年前の民衆の抵抗である米騒動の意義を新たな視点から光を当てようとするものだと書かれている。
特集には、大野和興・インタビュー小倉利丸「食と農の崩壊状態のなかで――都市の貧民・村の困民の連帯を求めて」や原山浩介「抵抗の素朴さと苦さー可能性への読み替えを目指して」などあります。これだけ問題の多い社会、運動を起こしてよくしようという動きにつながるといいなと思っています。
2008年12月/A5/168頁/¥1,300+65] 特集=米騒動90年 いま食と農を問う 編/発=インパクト出版会
目次:世界金融危機の行方(金子文夫)/国際社会から問われる日本の人権――自由権規約審査ロビー報告(秋山映美)/食と農の崩壊状態のなかで――都市の貧民・村の困民の連帯を求めて(大野和興)/女一揆としての富山・米騒動――女性運動という観点からの読み直し(斎藤正美)/グローバル化する飢餓(ラジ・パテル/訳=小倉利丸)/グローバル化のなかのタイ農村(森本薫子)/「共食い」に抗する文化的つながりを――まちの困民・むらの困民(相川陽一+竹内智彦+ペペ長谷川+茂木遊+yuzo)/外食産業の労働現場はどうなっているか――「すき屋」「ショップ99」など(河添誠)/「フードジョッキー」という遊び=運動――シャリバリ地下大学フードジョッキーデパートメント(行友太郎+東琢磨)/ ほか
(この目次は、模索社の新着案内のところにあったものです。どこよりも早く紹介してくださっていたようです。すごいなあ)
今後も女性史、女性運動史として富山の米騒動について読み直しを続けていくつもりです。お読みになった方、よかったら感想など寄せてください。
そういえば、『歴史評論』216号(1968年)が「特集・米騒動五十年」で「米騒動をめぐってー「明治百年」か「米騒動五十年」か」という議論をしていた。1968年は思えば、全共闘運動やベトナム反対運動、反安保運動など「反体制運動」が盛んな時期だった。そこでは「明治百年か米騒動五十年かといったら、米騒動五十年をとる」「米騒動五十年の方が非常に大事なんだ」という発言で盛り上がっていた。来る2018年は「米騒動百年」であり「明治百五十年」になる。果たしてその時、「米騒動百年」のほうが「明治百五十年」より大事だという声が上がるだろうか。
タイの政権が崩壊したニュースを見ていて、そういえば麻生政権だって崩壊しているようなものだと思い直した。自民党だってだれも麻生さんを支持していないようだし、マスコミももう見放している。これまでの麻生首相のダメダメぶりをこれでもかこれでもかと繰り返して見せつけている。タイと日本の違いは、民衆が動くか動かないかの違いが大きいような気がしたりする。日本の現状のダメダメぶりを振り返り、そんな政治のダメさ加減に怒りをもった市民の運動、連帯ができるための活動をしていきたいと思った。米騒動の意義はやはり「政治への怒り」から「民衆の連帯」「ひるまない行動」というところではないだろうか。