ノーマ・フィールドさんの『小林多喜二』を読む

 「多喜二さんへ」「ふたたび多喜二さんへ」という呼びかけになっている「プロローグ」と「エピローグ」で読者は一気に小林多喜二が身近な人になってくる。それまではわたしにとって(おそらく多くの人にとっても)死に方が有名すぎて「生身の人間」の部分が弱い人であった。しかし、ノーマさんの長年の取材と人となりが凝縮されたすばらしい文章で一「全身を込めて主張している」小林多喜二という人間に関心を呼び起こされる。感情を揺さぶるすばらしい文章である。

 ノーマさんの巧みな筆致でぐいぐい惹きつけられる小林多喜二だが、本書を読んで一番意外な発見は、彼の作品が女性を深く描いていることであった。一番有名な「『蟹工船』は例外で、多喜二の小説は女性抜きには語れないからだ」(96頁)。多喜二が銀行に就職している間に、売春を余儀なくされる女など社会の底辺で生きようとする女性を主題にした作品に繰り返し挑戦しているという。その後は、売春と運動をともに体現する女性をとりあげているのだそう。作品のなかで売春をする女性を美しいものとして描くのではなく、「自分は『性交力』を売る労働者だ」と考える女性として登場させたり、「お客をつれ込むと、その夜は朝まで、共産党員のような気持ちでウツラウツラするの」などといった具合に、ステレオタイプにはまらないのだ。

そして、試しにネットで読める多喜二の作品「継祖母」を読んでみた。

この作品は、1923年 (大正12年)、多喜二が小樽高商時代、『校友会誌』に発表したものです。 若い継祖母が、その継祖母という立場に翻弄され、遂には井戸に身を投げ自殺してしまうという悲しい内容の話です。

読んでみると、これが20歳の男性の関心事?と思われるほど「女のおかれた立場」に寄り添って書かれていたことに驚かされた。しかも今から7-80年前の男の作家がこれほど女の問題を深くみていたことが予想外である。プロレタリア作家というイメージを見事に破ってくれる。ノーマさんも、祖母の故郷である小樽文学館で多喜二が田口瀧子あての手紙を読んで、多喜二が「ひょっとしたら自分の認識がとんでもなく偏った狭いものではないか」と疑いを持つことになったのだと語っている。そして、ノーマさんはなぜ多喜二が女とこどもに寄り添って、女とこどもを繰り返し描いていくのかというテーマを補助線として本書で多喜二の文学と一生を迫っていく。そこに興味が惹かれた。ノーマさんは、「安子」と改題された「新女性気質」という題名の新聞小説を「これまでの作品の課題をすべてをこの作品に持ち込み、組み替えをし、深化させている」(213頁)と評価している。多喜二に「新女性気質」なんて題の小説があったなんて、拷問で死んだ作家というイメージがちょっと揺らいでくる気がした。

それと、ノーマさんが書くように「多喜二の作品世界は窮屈でない」(190頁)のが魅力だ。これも拷問死やプロレタリア作家というキャッチフレーズとの間に(勝手な思いこみによる)ギャップがある点だ。多喜二は、わたしのプロレタリア作家イメージと異なり、いまのことばでいうならジェンダーセクシュアリティを入れ込んだ作品を書いているようなのだ。それは知らなかった。そしてそれと階級問題を絡ませようと挑んでいるみたいなのだ。「ふつうの眼でいくら凝視しても気付かないか、見通すことのできないものを、小説のことばの力で見えるようにすることを目指す文学観と世界観だ」(190-191頁)。「多喜二の運動と創作は互いを刺激して支えていた。創作はその場その場で認識される「正しい姿」に締め付けられることを拒み、運動は「正しさ」の探求を忘れさせなかった」(191頁)と書かれている。なんだかしっかり読んでみたい作家になってきた。

というわけで、ノーマ・フィールドさんのすばらしい案内で『蟹工船』以外の作品のよさを知ることが出来るのもこの本の魅力である。女性をどのように描き、どう読み込んでいるのかを解いてくれるノーマさんであるが、プロローグで書いているこの一節に何かを感じた。「いま、中産階級の一員として」という箇所だ。

私自身、中産階級的生活にしがみついてきましたし、今後も、絶対に、手放したくないと思っています。それはもちろん物質的なことを意味していますが、尊厳の問題でもあります。残念ではありますが、中産階級と称される物質的条件なしには、人間としての尊厳が確保されない社会に生きているからです。(中略)あなたはこういう想いを軽蔑はしないだろうと思います。少なくとも、切り捨てはしないでしょう。ご両親の体験でもある、生活が保障されない苦しみをあれほどするどく捉えたあなたはまた、文学だけでなく、映画や音楽というブルジョワ社会の文化的遺産の恩恵をたっぷり受けて、その素養をプロレタリア文学者、運動家として生かしもしました。(11-12頁)

ここにノーマさんの「一生懸命さ」が示されているようにわたしには思われた。『蟹工船』と非正規労働者の連帯や労働運動だけがクローズアップされる中、それから外れて見える女と子ども、それに中産階級やその文化としての小説といった問題に光を当てる。もちろん、自分の依って立つところを忘れず、身体全体で今の社会とぶつかるということも表していよう。一生懸命に読む本であり、身体の深いところで理解する本という気がした。多喜二の愛される人間性を巧みに描いた本書を魅力的にしているのは、書き手であるノーマさんの豊かな感受性と磨かれた知性の総合力だと思った。