日本女性学会ワークショップの報告

 半年かけて準備してきた日本女性学会ワークショップ企画が28日お茶の水女子大学で終わった。トラバしていただいているように、すでに山口智美さんマサキチトセさんおーつかさんミヤマさんからレポがあがっている。

 まず、山口さんから、「なぜこのワークショップを企画したか」説明がされた。一つには、「ジェンダーフリー」「バックラッシュ」に関する明らかな女性学内での異論の存在があり、第二に、今まで対面議論の機会がなかった。第三に、活動するメディアも異なり、議論が交わらなかったこと、第四に、女性学の「バックラッシュ」への対応に問題がみられること(実践面、研究面)の4つをあげた。そして現在の視点から「ジェンダーフリー騒動」および「バックラッシュ」を再考してみたいと述べられた。

・会場外へのネット中継

 当日はネット接続のために、会場に8時15分に到着。わたしのビデオカメラをwebカメラとして活用し、ポートランド在住の小山エミさんに音声だけ実況中継しながらワークショップは進行した。会場の外へのネット中継、そして会場の外からのコメントのフィードバックは、以前ヌエック・ワークショップでも実施済みだったが、日本女性学会では初めてだったのではないかと思う。小山エミさんのコメントを受けて議論を深めることができたのは収穫だった。(わたしは、フェミニズム運動が90年半ばから官制運動になって衰退したという点を受けて発言したし、会場からもマサキさん、飯野さんらが発言された)

女性学会のストラテジー批判は受け止められたのか
 
 「ジェンダー」概念の広がりと、フェミニズムの「失われた15年」について、女性学会で重責を担ってきた方々に、どう思われるかを問うたのだが、この点については「わたしたちも自分の現場でしっかり責任を担ってきたのよ、というレスに終始した。最後のまとめで山口さんが、今日は「女性学会の問題を問い直す」というのがテーマであったと言われた。それと「バックラッシュは何なのか」についても同様だったと。しかしながら、その2つについての応答は、実はなされなかったというのがわたしの受け止めです。荻上チキさんが、批判がちゃんと受け止められたようには思えない、こちらの問題提起が矮小化されているようだとコメントされていました。

 あとで参加されていた方から聞いた感想でも、このような公開の会で一同に介した議論ができたのはよかった、しかし、(女性学会のストラテジーに対する)「批判」としてはちゃんと受け止められているようには見えなかったというものでした。 「ジェンダーフリー」を使ってきたがそれは大事だったのだとかそういったレベルの議論にとどまり、女性学会のあり方、ストラテジー、学者として運動や政策づくりにどう関わるのか、運動現場では今何をするのが求められているのか、といった点については、一歩前に進める議論ができたわけではなかったと思います。それが今の時点でのわたしの総括かなと思います。


 でもまあ、「女性学会が30周年ということで、やはり、運動や考え方の変化の時だと実感できてよかった、体制批判について、自由にやれることが、その体制の存続に とっては、必然なんだし、批判があることがよかった」という意見も聞けて、ああそういう受け止めをされたのならまあやってよかったんだろうなとは思いました。この見直しの議論が、このワークショップ止まりで終わることのないように、この動きをどうやって広げていけるかが問われているんだろうなと考えています。


女性学のストラテジーを問い直す
 というわけで、わたしの主張である「女性学のストラテジーを問い直す」について、書いておきます。わたしは、女性学は行政密着型運動をひっぱってきた。その象徴となるのが啓発や教育の場で使われる「ジェンダー」と「ジェンダーフリー」という概念である。それらは男女共同参画基本法や条例など法制化を踏まえた男女共同参画政策の中核にある概念であった。啓発や教育の文脈では、「男らしさ、女らしさ」から自由になり「自分らしく」あれといった文脈で使われてきた。しかし、「ジェンダーフリー」が原典に当たらず誤用されてきたためもあり、基本法、条例といった法律が歯止めにならないほど混乱を招いた(「男女共同参画」というあいまいな用語もこの流れに拍車をかけている。)政策がどんどん意識啓発事業に引き下げられ、法制化の意味が減じている。条例制定もまったく歯止めになっていない。その結果、現在地域では男女共同参画政策が骨抜きになっている。

 こうした政策を地元で男女平等推進条例策定委員などになって推進してきた1人としてこのような行政密着型運動の限界を認識し、その原因を探り方向転換をめざしたいと思って発言した。限界としては、1)中央集権・官僚お任せ型の限界、2)抜けていた、草の根から広げるアプローチ(「バックラッシャー」側が逆用されている)、3)消えた、行政への告発・提案型の運動という3点をあげた。

 限界の第一として「官僚任せ」がある。政策作りの過程だけに関わり、あとは官僚任せというアプローチは限界であると主張した。また、条例制定運動のように、国で基本法をつくり、「条例の作り方」などのテキストを作成し、地方に同様のものを下ろしていく手法の限界でもある。実際に起きていることは、地方だと都市部より不況が深刻だったり、子育てネットワークは「ママ友」、というより「グランマ(?)友」の方だったりとかいろいろ異なっている。なんでも「市民参画」という名で審議会で決めていく方式の限界も条例制定で見えたこともあるし。

 限界の第二に、欠けていた、草の根から広げるアプローチがある。プレ研究会では、バックラッシャーの主張と何が違うか、なにも変わらないほど後退しているではないかと述べたが、学会では、実際に名の知られている保守ジャーナリスト氏が富山県男女共同参画制度を逆に活用し、八面六臂の活躍をされていることも実際に報告書から明らかになっていますよと言った。しかしこれがまた、拍子抜けするほどまったく関心を持たれなかった。地方のことだから知らないという反応なのか、どうなのか。山口さんも最後のまとめで、こういう実態がスルーされていることは大きな問題だという指摘をされていた。わたしは、保守運動がこうした男女共同参画制度を逆用し、草の根活動によって男女共同参画政策を骨抜きにしているというその草の根アプローチに学ぶ必要があるのではないかと言ったのだが、だれからも反応はなかった。草の根運動への無関心はどうしたことよと思う。それほどトップダウン型の限界を感じていないのか、と言いたい。あるいは地方のことだから勝手にどうぞ、というのか。だけど、条例に「男らしさ、女らしさを否定することなく」などが入ったといってあれほどファックス送信運動をしたのに、こういった事態に反応しないのはフシギだ。
中央から地方へと(政策を)下ろすストラテジーの課題についても、まったくレスいただけなかった。「地方の力不足」という外れた理解をしている人もいたようだが、、、。

 第三に、消えた、行政への告発・提案型の運動、をあげた。これは、 “女性学者主導”運動(条例制定運動、Q&A本、福井ジェンダー図書問題、WANなど)が90年代半ばからどんどん進行している。改めて、回りを見回してみても、行政への告発・提案型の運動が少なくなっている、と80年代初めから地方で運動現場に関わってきた者として感じていることを指摘した。

 こうしたことをまとめると、女性学会のとってきたストラテジーは、「上から目線」ストラテジーである、その限界がみえている現状であるから、ここで再検討し、見直すべきだと言ったのだった。こうした点の指摘をしたのに、、「男女共同参画は骨抜き状態」というわたしの報告だけをとって、「わたしもそう思っていたのよ」というレスを金井、井上、伊田氏から揃っていただいた。だったら、そのやり方を見直しましょうと思うのだが、行政を応援するというスタンスは堅持するということのようだった。これは終わってから井上さんと個人的な会話でわかったこと。要するに、抜本的な見直しが必要という点では意見が割れたということだ。

女性学の「バックラッシュ」対応、「インターネット対応」についてもまったくレスがなかった

 女性学の「バックラッシュ」対応については、山口、荻上、斉藤と重ねて問題にしたのであるが、いっさいレスされなかった点である。女性学会の方たち、われわれのブログを見ておられることはよくわかった。この点については、もっと突っ込んで聞いてみたい点であった。しかし、コメント欄に反論を書くという選択肢はまったく存在しないらしいこともよくわかった。慣れないのでこわいという反応らしかった。まあ、公開の討論会でもレスいただけなかったのだから、この問い自体に違和感があるんだろうとは思う。

 会場でも、書かれて困惑したといいに来られた方があったし、討論でも金井さんが「斉藤さんに批判されて対応させられた」と指摘されていた。「多様な声を」といいつつ、批判が来ると、「対応させられた」とさぞ大変だったという反応をされると、院生の人たちは就職に響くからやはり黙っていよう、ということになる。結局、学会に批判できるのは、仕事をとることを諦めた人か、海外の人、学会に入っていない人という、今回のわれわれのようなメンツに限られてしまう、そういったスタンス自体が問題ではないかという趣旨のことも会場で言わせてもらった。

 なんか中途半端にしか書けていませんが、すでに、具体的なレポがたくさんあがっているので、あとはそれらのレポをじっくりとご参照ください。ご参加いただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。