高岡女性の会連絡会の解散話
ちょっと遅れたレポになりますが、女性学会大会でのワークショップとも関連した重要な動きとして報告しておきたいと思います。これは、高岡市の女性団体でつくる「高岡女性の会連絡会」の解散総会が6月 24日(水曜)日夜、高岡市男女平等推進センターであり、連絡会開始から二十年の歴史に自ら幕を引いたという話です。高岡女性の会連絡会は1989年に、大小26の団体が集まって発足してきた団体でしたが、「女性たちの活動拠点」や女性プラン、女性行動計画、男女平等推進条例の制定などを求めて行政に要望する活動を主に行ってきた。この活動は当時は華々しく展開されていました。例えば、91年には自分たちの代表を市議に送り出し、その後も県議に送り出すなど女性を政治の場に送り出すことに実績を上げてきました。また、市に女性専管課を設けさせ(93年当初は女性行政室、その後2003年には男女平等・国際交流課、2005年には男女平等・共同参画課)、行動計画および男女平等推進条例を制定するなどの成果をあげてきました。2004年には念願の男女平等推進センターの開設を実現させた。これらの活動については、こちらを参照ください。
しかしながら、結成20年を区切りに、議論を重ね、連絡会解散を決めたのであった。個々の団体、グループはさまざまな形で地域社会に貢献する活動を続けるが、連絡会は、パサパという「DV被害者自立支援基金」を設立して解散するという。わたしは、行政が財政難の折りから、市から補助金をもらって活動する団体から「卒業」するのは英断だと思いました。というのも、女性学会大会で話したように、「行政を通じて施策を進める」というアプローチにはつくづく限界があることがわかったからです。官僚まかせの限界が男女共同参画政策の骨抜き状態につながっています。そうした税金に依存した活動よりも、草の根で必要とされていることをすることの方が税金の無駄遣いにならず前向きな選択だと考えます。行政のお金は全部ダメというものではありませんが、補助金をもらうことでの制約もあると思うからです。こちらやこちらの拙ブログを参照していだければわかると思うのですが、2004年の女性とまちづくり会議で国土交通省の役人の方がゲストに来られてとんでもない話をされたのがいい例です。最近の高岡市首長、および市幹部の男女平等の方針は、佐藤前市長のスタンスとも変わったことでもあります(現在は橘市長が国政選挙のために退任されてまたまた未知数でもあり・・・)。
解散記念の式とともに、山口智美さん(モンタナ州立大学教員)を迎えて「Break Up! ぶんぶん集会」というパネルディスカッションがありまいsた。その際に、女性の会連絡会元会長の巴陵嘉子さん、現会長の向富士子さんとごいっしょに、わたしもスピーカーとして参加させていただきました。そこでは、上に書いたようなことを述べました。
ディスカッションに先立ち山口さんは、女性運動の解散によって浮上するもろもろの課題について、研究したり直接関わったりしてこられた行動する女たちの会や、女性連帯基金などのグループの実例に基づいて語られました。ここにそのほんの一部ですが、アップしておきます(新しいザクティで撮ったものです)。
http://www.youtube.com/watch?v=_r1JeogeNtk
なお、山口さんご本人のブログでの報告はこちらをご覧ください。写真もたくさんあげられています。一方、新聞記事は、北陸中日新聞の加藤祥子さんのものがありますので、どうぞ。
解散を決められた会長の向富士子さんはじめ、現執行部のみなさん、ことを決めるまで、そしてその後の後始末と、ほんとにほんとにご苦労があったことでしょう。お疲れさまでしたー。