ウーマンリブとメディア再考:朝日新聞「女たちの昭和史」

 かめブログになっていて恐縮ですが、のろまついでにもう一つアップ。2009年6月29日、『朝日新聞』「検証昭和報道」で「女たちの昭和史」が8ページ(12版▲)に全面特集で取りあげられています。そこに、従来「ウーマンリブはメディアにからかわれて終わった」(江原由美子)という通説を再考する記事が書かれています。

 この検証記事は、参政権運動、ウーマンリブ運動、それに雇用機会均等法と戦後60年をざっくりふり返るというおおぶりの企画です。ウーマンリブ報道のその一部としての登場です。書き手は編集委員河原理子さん。わたしも、メディア報道は「運動を後押しする一方、批判も載せた。ウーマンリブと名付けて顕在化したことで、新しい動きとして広く認識された」というコメントをさせていただきました。
 
 ウーマンリブとメディア報道については、永らく「ウーマン・リブはもちあげられ半ば評価され、揶揄されて終わった」(井上輝子1980:171)や、「当時の新聞や雑誌はリブ運動を決定的に嘲笑し、カリカチュアライズした形でしか報道しなかった」(江原由美子1985:101)というのが女性学では通説になってきました(江原論文は、英語版も書かれているので世界に向けた情報でも同様の認識かと思われます)。

 それに対して、リブ運動に関わった秋山洋子さんの『リブ私史ノート』(インパクト出版会,1993)で見直しがかけられ、その後、わたしも「『ウーマンリブとメディア』『リブと女性学』の断絶を再考する」『女性学年報 』(下記参照)でそれを追跡し、リブ運動は確かにメディアによって、しかも男性記者によって名付けられ、顕在化したことを確認しました。ただ、『新編日本のフェミニズム 7巻表現とメディア』(岩波書店)に採録されたリブとメディアに関する拙稿も、この論文ではなく、見直しをかけていない98年の旧版論文であり、この見直しが広まったとは言えませんでした。

 そこでこの記事で、「ウーマン・リブ」という和製英語を一般に広く膾炙させるきっかけを作ったのが『朝日新聞』東京版であることを記しているのは大きな前進だと考えています。また、メディア研究では当時女性の記者が少なかったからリブ報道はからかいが多かったとされてきましたが、「ウーマンリブ」報道に早くから批判的な視点も入れこんで積極的にかかわった蜷川真夫さんという男性の記者の存在を明らかにしています。さらに、1971年8月、長野県で開かれたよく語り継がれている「ウーマンリブ合宿」にも、女性の記者が多く参加していたことが書かれています。朝日新聞だけでも、公私含めて4名が参加していたと。この時、批判的なまなざしで書かれた新聞記事や雑誌記事がたくさんありますが、それは、リブ運動をわかっていなくて外から眺めて批判したというような単純なからかいや揶揄ではなく、内在的な批判のまなざしがあったとわたしは考えています。(これについては取材したことをちゃんと書かねばと思っているところです。)リブ運動とメディアの関係は、考えられているよりはるかに複雑な要素が絡まっていることだけは確かです。

 さらに、ウーマンリブについては、高校までの歴史の教科書にも登場していないのではないかと思われます。大学の授業で取りあげると、「これまで聞いたことがなかった」という反応が返ってきます。一般社会では依然として、存在が不可視化されているといえます。それは、歴史学領域、女性史領域ではせいぜい参政権運動研究止まりで、その後の運動はノータッチだということも影響しているかもしれません。(わずかな例外が鹿野政直『現代日本女性史ーフェミニズムを軸として』です)その一方で、女性学領域ではウーマンリブ研究は大人気です。資料集も続々出版され、研究したいという人は次々現れている、という実社会とのギャップが見られる状況です。

 こういう背景なので、朝日新聞の「女たちの昭和史」記事がリブ運動に関しての一般社会での低い評価を再考することになればいいと思っています。そのうち歴史の教科書に当たり前のように載るようになればと思います。ただし、注意を要するのですが、これは決してウーマンリブ運動だけを高く評価しようということではありませんし、リブ運動の中で田中美津さんだけがクローズアップされていいと思っているわけではありません。他の運動や他の運動家たちがもっともっと認められる必要があると考えています(記事では、雇用均等法についてまで載っており、当初の予定よりもリブとメディアが小さな扱いになった模様)。

 日本社会では、女性運動、いや社会運動全体があまり評価されていません。社会を動かすのが社会運動であり、女性運動であるという、運動のインパクトに正当な評価が与えられていないんだと考えます。そういう社会運動への低い評価の中で書かれた「ウーマンリブ運動と報道」の再考記事は大きな意義があるものと思います。ネット版がでていないのは残念です。少なくとも、ネット界の検索でひっかかるようにここに記しておきたいと思います。

・井上輝子1980『女性学とその周辺』勁草書房
江原由美子1985『女性解放という思想』勁草書房
 
なお、文献一覧は、http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/socio/lab/sotsuron/96/saitoh/bib.htmlをどうぞ(必ずしも全部網羅してませんが)。



 ちなみに、わたしがウーマンリブとメディア再考を書いているのは、次の論考です。
・「ウーマンリブとメディア」「リブと女性学」の断絶を再考する--1970年秋『朝日新聞』都内版のリブ報道を起点として『女性学年報 』(24) pp.1〜20 2003

 また、『新編日本のフェミニズム 7巻表現とメディア』で、一部抜粋で掲載されている98年版リブ運動とメディア論文の全文がネットに載っていることがわかりました。ここにリンクを貼っておきます。こちらの方が岩波版よりも有用かと思われます。
クリティカル・ディスコース・アナリシス : ニュースの知/権力を読み解く方法論 : 新聞の「ウーマン・リブ運動」(一九七〇)を事例として『マス・コミュニケーション研究』(52) pp.88-103

 もう一つ、ちょっと古いですが、その元になった修士論文の全文がネットであげられています。(富山大学サイトからはリンクが外れているのでここで改めて貼っておきます)

「日本のメディアと女性運動の展開――ジェンダーと公共圏をめぐる闘争」(1996年度富山大学人文科学研究科修士論文」 

 ちなみに関連するものとして以下もあります。
細谷さんへ、あるいは性別特性論に焦点化する女性運動批判


 リブ運動とメディアについて、リブ運動の意義を広く認める記事が出たこと、またそこではリブ運動が単純にメディアにからかわれて終わったというリブ運動被害者史観が見直されていることをご報告しておきます。