フェミニズムがトップダウンでどうする 「草の根アプローチ」のススメ

 日本女性学会ワークショップでわたしは、(日本女性学会ワークショップ報告参照)「フェミニズムは本来、草の根アプローチであったのに、その重要性が忘れ去られて、トップダウン型になっている」と問題提起したのだが、それがどうもちゃんと理解されていないらしいことに終わってからますます気づいてきた。そこで、「草の根アプローチ」とは何か、どういうことをやるのか、について改めて書いてみよう。

 第一に、フェミニズムと草の根の密接な関係に関心がないなあとびっくりしたのは、保守派が草の根活動していることに危機感を持たれていないことであった。わたしとしては大変ショッキングであった「実際に名の知られている保守ジャーナリスト氏が富山県男女共同参画制度で活躍をされている」事実に、当の学会ワークショップではまるで無反応で肩すかしであった。ブログで書いてからも、たぶん女性学、女性運動方面じゃない方からお一人、はてぶコメントで関心を示されているという現状であった。実際、現在では運動といえば、全国から一斉に役所や議員に抗議のファックスやメールを送るといった全国一律型のが多く見られる。もちろん、「草の根」はどこにいても全国の抗議活動に参加できますという類のものではない。個人的にも聞かれたことがないし、みな関心ないのかなあと思う。それは逆説的に、いつのまにか、不可視のまま「フェミニズムトップダウンでなにか?」になっているということじゃないだろうか。

 確かに、日本のフェミニズム運動の歴史がウーマンリブくらいしか掘り起こされていない中、「思い起こしてよ、フェミニズムは草の根だったでしょう?」といってもあまり保存されていないのだから、どうだったかな、くらいで思い起こせるわけもないはずだ。フェミニズム運動の歴史については、前にも増して書けるところは書いて残していかなければ大変だという危機感を呼び覚まされることになったのは、よかったのかもしれないと、ひとまず前向きに考えることにしよう。

 第二に、女性学会の報告を書いた後に、The Young Bitch's Diaryで以下のようなお門違いの批判が私の報告に対してされているのを目にした。「草の根」と「出る杭は打つ」アプローチが対比的なものと理解されているかのような書かれ方である。また、学者と行政の関わりについては、研究者であるなら、女性運動と行政の長い闘いの歴史でどんなことがあったかをひもといてもらいたいと願うものだ。

1.行政の男女共同参画は官僚・学者主導の上から目線である、フェミニストからの草の根アプローチがない、WANも学者主導の中央集権的「ろくでもない」集まりだ、という斉藤正美氏の発言に対して
⇒学者が行政と関わってなにが悪いのか?そもそも草の根的なフェミ団体を「育てなかった」し、出る杭は打つアプローチをしてきたひとつふたつ前の世代のフェミニストたちが、なぜ「草の根アプローチがない」などと言える?

 わたしは、「学者が行政と関わること」そのものを拒絶しているわけではない。自分自身もあれこれ関わったことだし、そんなことは言えません。学者と行政の関わり方を問題にしているのだ。現在の女性学者のみなさんのように、「男女共同参画政策はとりあえず支持する」でいいのかと問うたのだ。ワークショップでは、井上、金井さんが「わたしも斉藤さんと同じ考えをもっている」とおっしゃらったので終わってから確認したのだが、井上さんは上のようにおっしゃっていた。ワークショップ参加者も「草の根アプローチ」が何かを誤解されていたのかもしれない。

 国の政策に関わりそれを「ジェンダー=国際標準」だからいいのだ、と行政官僚任せにして地方へと(国から県へ、そして県から市町村へと)順繰りに下ろしていく手法、それはトップダウン手法だと批判しているのだ。そういう現場主義と反対の手法をとっているから、その隙に保守派が男女共同参画活動に侵入して活躍しておられてもだれも気がつかないという大変お粗末な事態になっていると思うのだ。

ジェンダー」という抽象的な概念を重視することと裏腹に、それぞれの地域の課題はどこへやら、現場の問題はうち捨てられているのではないだろうか、現場主義を放棄してトップダウン、理論優先になっているのは問題だと言っているのだ。言い換えると、学者が行政にあまりにもお任せして現場を見ていないことを批判しているのだ。「上から目線」という批判には、このような「官僚にお任せ」も含めている。

さらに、「出る杭は打つアプローチ」を私の世代がしてきたという主張をもって、わたしの「草の根アプローチがない」という指摘自体を葬り去っているが、そんなことができるのか。

 「草の根アプローチとは、何であって、何でないのか」。
 「草の根アプローチ」で重要なのは、次のような原則だと考える。参考:草の根民主主義(grassroots democracy)

 1)自らの住む地域の課題を解決することを優先させる。決して、国や国際機関の意向だから重要というのではなく、自分たちの足下の生活において重要なことを主張する。中央集権に対する、地方分権的な考えとも言えるのではないか。(私の知る限り、官僚は中央集権的な考えが強いような気がする)
 2)地方議会、国会などに地域の代表を送り込むという代議制(代表制)民主主義とは異なる。個人や運動体が自ら意思決定過程に影響を行使する。

 「草の根」という用語は、このような民主主義の意思決定過程におけるアプローチの一つなのである。しかしながら、このような民主主義の意思決定過程におけるアプローチの一つとしてとらえられていないように思われる。「民衆の」「地域から」という意味では使われているものの、意思決定過程において、代表制でもなく、自らの意思で地域の意思決定過程に参加するという手法としてどれだけ理解されているだろうか。刊行本を探したのだが、アメリカの草の根民主主義についてTVAなどに触れたものは少なくないが、「草の根」とは何か、「草の根民主主義」とは何かについて議論したものは、予想外に少ない。もしかして、「草の根=市民が活動すること」程度にとらえられているのかもしれない。

 草の根アプローチで重要な原則は、自らの住む地域の課題を解決することを優先させる。決して、国や国際機関の意向だから重要というのではなく、自分たちの足下の生活において重要だからそれを主張するのである。「出る杭は打つアプローチ」というのは自分より能力がある人を失脚させるということだとするなら、それと、「地域優先(反 国家・国際優先)」や、「個人でも意思決定過程に参加する」という「草の根アプローチ」がともに存在しないということにはならない。

 フェミニズムは、永らく社会の異端であり少数派だったので、代議制で議員を出せるほどの力をもっておらず、また政府に頼ることもできず、自前の運動をするしかなかった。長い間フェミニズムは、草の根運動しか頼る方法がなかった。もちろん運動をつなぐために草の根運動の全国センターとなるような活動はあったものの・・。

 しかし、国や自治体は、女性センターを建てるなどフェミニズム運動が盛んになったことへの対抗策をとってきた。取り込み策とも言える。わたしの知る限りでは、80年代まで行政は市民運動の人を敬遠して政策策定過程に入れることはなかったものだ。わたしがメディアの中の性差別を考える会の活動を始めた80年代末、90年代初めはちょうど転換期だったかもしれない。最初は大きな距離があったが、90年代初めには行政の行動計画策定の委員に選ばれるようになった。しかしながら、ずっと続けて選ばれるということはない。選ぶ権限を持っているのは行政だから、この人はやり過ぎだと思えば即切られる。金井さんが斉藤さんよ、常に行政に関わりなさいと言われたが、選ぶのは行政なんですゾ。間違っても市民の側には選択権はない。「協働」とかいうアプローチも同様で行政に選択権がある。

 現在では行政は声の大きい市民活動家を政策策定過程に取り込むことも厭わなくなっている。取り込んで換骨奪胎させる手法だ。だからこそ、取り込まれ対象の女性学者が「とりあえず行政を支持する」では太刀打ちできないと考える。保守派のみならず官僚も市民運動の人やアプローチを活用するようになっている。それなのに、フェミニズムが「草の根アプローチ」を忘れて中央集権的な手法をとっているなら、行政との癒着が進むばかりで未来がないではないか。

 フェミニズムは、ここらへんで一度自らのアプローチを見直さなくてはならない。90年代半ば以降の行政との二人三脚は、トップダウン型だったことを認めることから始めないといけないだろう。そして、官僚主導や地方分権が課題となっている今こそ、フェミニズムが草の根アプローチに戻るチャンスではないかと思う。