民主党と記者クラブ問題その後

 その後、いろいろ進展がみられるようです。まず、岡田外相が9月18日の記者会見で、外務省の記者会見を全メディアに開放すると決め、そのむね発表している。

岡田外務大臣会見記録(平成21年9月18日(金曜日)17時45分〜 於:本省会見室)

冒頭発言

(1)大臣会見に関する基本方針について

外務大臣)私から三点申し上げたいと思います。既に少しご説明していたことでありますが、大臣会見に関する基本的な方針ということでお話しをしたいと思います。この会見をこれから毎週2回を原則に行いたいと考えております。(中略)そしてその会見につきましては、外務省記者会所属メディアに限らず、原則として全てのメディアに開放したいと考えております。
 具体的には、日本新聞協会会員、日本民間放送連盟会員、日本雑誌協会会員、日本インターネット報道協会会員、日本外国特派員協会(FCCJ)会員及び外国記者登録証保持者ということにしたいと思っています。それ以外にいわゆるフリーランスの方々についても、今申し上げた様々なメディアに定期的に記事を提供する方については含めたいと考えています。そういった方々に事前に登録を行って頂くことによって基本的に全ての方に会見に出席して頂けるようにしたいと考えております。


 岡田外相は、外務省記者クラブと衝突しながらも48時間かかって外相会見の開放にこぎ着けたという。外務省から記者クラブ制度が独占していた記者会見への参加を開いていったということになる。おかしいのは、次官会見廃止の際にあれほど言論統制は許せないと息巻いていた記者クラブメディアが、岡田外相の方針に「なぜオープンにしたのか」という質問書を出して抗議したんだという。岡田外相は、率先してやればできることを示してくれたのだ。力強い。上杉氏は、この言論統制という抗議は、実は鳩山内閣に「官報複合体」の力をわからせてやろうとしているのだろうと推察している。そこでみられるように、問題はセキュリティであり、それは事前に登録しチェックすれば解決することである。セキュリティが真の問題ではないことは神保哲生x宮台真司の議論でも触れられている。

現時点で記者会見に参加できる記者クラブ加盟社の記者に対しては、特にセキュリティチェックなど実施されていない。また、総理官邸には入り口に金属探知機があり、出入りの際に持ち物は全てチェックされるシステムが既に整備されている

 さらに、現在出ている『週刊文春』10月1日号には、上杉隆さんが「告発レポート」という形で書いているが、それによれば、鳩山首相は上杉氏に「約束は必ず果たします。もう少しだけ我慢してください」と騒動の後で語っているというのだ。官邸の記者会見についても、時間をかけてオープンにしていこうというスタンスが見られるようだ。

 「約束」というのは、今年5月16日のホテルオークラ東京での民主党代表選挙の直後の就任会見で、上杉氏の質問に対して鳩山新代表が「私が政権をとって官邸に入った場合、上杉さんにもオープンでございますので、どうぞお入りいただきたいと。自由に、いろいろと記者クラブ制度のなかではご批判があるかもしれませんが、これは小沢代表が残してくれた大変良いことだと、そんな風にも思っておりまして、私としては当然、ここはどんな方にも入っていただく、公平性を掲げていく必要がある。そのように思っております」と語ったことを指す。

 同記事によれば、民主党は実績としても、2002年以来、雑誌、海外メディア、ネット、フリーランスにまで参加資格を広げ、会見を開いてきていたという。そしてそこに参加し続けていたフリーの記者は、海外の記者を遭わせても30人程度いたそうだ。

 この背景には、日本は世界でも特殊な記者クラブ制度が設けられていることがある。記者クラブとは、元来、官公庁などを取材する記者が取材活動の便宜と親睦のためにつくった団体とされている。首相官邸、各省庁、自民党、ならびに地方自治体、警察、裁判所などに記者クラブが存在しており、上杉レポートによればそれは全国には3千とも5千という数に上るという。wikipediaはてなキーワードも参照のこと。後者には官公庁から記者クラブへの便宜供与の額が出ている。

 以前、わたしは日本では記者クラブがいつ頃だれによって始まったのかを調べたことがある。山本武利(1990)によれば、新聞社が記者クラブを整備したのは第二次桂内閣(1908年―1911年)からで、行政が記者クラブ制度を記者に対してのあめとむちに利用しようとしたためとされる。また、それ以前の1880年代から記者控え所というものが存在していたようだ。それが有力官庁や各政党の記者クラブとして形態を整えたようで、次第に官公庁などから部屋の貸与などの便宜供与を受けるようになっていった(有山1995、山本1990参照)。ただし、現在と状況が異なるのは、大正期米騒動の際には、記者が政府に対して対抗するための拠点として記者クラブを活用していたこともあったようだ。新聞を発禁とした政府に対抗するために記者クラブを活用していたのである。しかし、今や新聞・テレビという一部メディア側の既得権益となっている。われわれ市民側の利益に反する役割をすることが多いように思う。


この問題については、週刊誌やブログではかなり関心を集めるようになっている。山口一臣週刊朝日』編集長が自身のブログで書いているが、来週の『週刊朝日』でもこの問題を取りあげるらしい。
  

総選挙が終わった直後から、実はこの問題に関して水面下で熾烈な戦いが繰り広げられていた。記者クラブを形成する既得権メディアが経営幹部から一線記者まで動員して、さまざまなルートで民主党の各層に働きかけを行っていた。鳩山由紀夫代表に直接、電話を入れた大手新聞社の首脳がいれば、秘書や側近議員の籠絡を担当した記者もいたという。

そのときの共通する殺し文句が、「新聞、テレビなどのメディアを敵に回すと政権が長く持ちませんよ」というものだったという。政権発足前からさかんに行われていた「小沢支配」「二重権力構造」批判といった実体を伴わないネガティブキャンペーンも、実はこの延長線上にあったのではないか、とわたしは疑っている。


 しかしながら、新聞やテレビはほとんど取りあげていない。そのこと自体が新聞やテレビにとっての既得権益であることを示唆している。これは、一見メディアの既得権益の問題とみえるが、実際は、官僚が都合のいい情報だけ首相にあげ霞ヶ関全体の利権を守ろうとするという意味で官僚支配でもある。だからこれは、官僚支配を崩すというわたしたちの願いがかなうかどうかに直結する問題だ。今後もこの問題から目が離せない。


 有山輝雄(1995)『近代日本ジャーナリズムの構造――大阪朝日新聞白虹事件前後』東京出版
 山本武利(1990)『新聞記者の誕生―日本のメディアをつくった人びと』新曜社.