大浦信行さんと針生一郎さんのトーク
大浦信行さんと針生一郎さんのトークを聞いてきた。画廊七本杉でのトークには、オーナーの戸口拾(おさむ)さんの教え子さんを含め50人ほどの参加があった。戸口さんは篠原三代平の弟さんと聞くが、参加していた教え子の一人に聞いたところでは高陵中学の教え子さんたちは今も戸口先生を慕ってしばしば集まる仲のよさだとか。変わった先生で有名だったそうだが、生徒にとってはいい先生だったんだろうなと思った。画廊は町の活性化に使ってほしいんだそうで、1日2千円で借りられるという。
外は富山の12月にしては寒く、摂氏1度くらいしかなく、また雪も50センチくらい積もった真冬だった。だが、会場に入ったら旧知のアーティスト藤江民さんがみかんを手渡してくださるし、会費もないのに途中の休憩には珈琲とケーキが提供されるというとっても暖かい雰囲気が満ち満ちていた。戸口さんは始終笑い顔を絶やさずうれしそうに振る舞っておられたのが印象的だった。
大浦作品連作14枚が富山で23年ぶりに展示されるというのはニュースになっていたが、このトークについては報道でもあまり取りあげられていない様子なので、わたしの感想を書いておこうかと思う。
大浦さんがニューヨーク時代に日本人としての自身の自画像を描こうとして、「戦後の日本人のアイデンティティー」にこだわり、天皇と自らとの関係を表現した、というのはよく言われていることだ。しかしながら、今回わたしは初めてその意味が理解できた。大浦さんのことばによれば、「自分の自画像をつくる」というのは、「無意識にあるもの、自分の毛穴にまで染みこんでいるものを掘り出し、自分の内部を空洞化していくこと」であるというのだ。こうもいっておられた。「自分を見えなくしていく要素をはぎとっていく、自己分裂を意識的につくっていくこと、自分の断片をつくっていくこと」「向こうに見えるものが自画像であるが、それは与えられた歴史そのものであり、それを断ち切るために表現している」
大浦さんは、自分のアイデンティティの要素として与えられた歴史、天皇や天皇制をいただく日本の歴史を感じ取り、それを自分の内面、無意識からはぎとりコラージュとして描き出し、それらを再構築しようとされたのだろうと思った。大浦さんはそれを表現することにとどまらず、裁判を通してさらに他者や社会に向けてその自画像の再構築を社会に投げ返すことになったということをおっしゃっていた(と思った)。
期せずして、最初「遠近を抱えて」で表現しようとされたことをさらに裁判やその後の展示やトークといった二次的な活動を通して繰り返すことになったのであろう。しかしながらそれは表現では届かなかった人たちをも巻き込んで日本の歴史を振り返る行為となっているのではなかろうか。
これについて、加治屋健司さんが「大浦信行の《遠近を抱えて》はいかにして90年代的言説を準備したか」において、[天皇を神聖視しようとする日本のナショナリズムの復活に対する抵抗の運動」という表現で書いている。
86年に事件化して以来、大浦は右翼や保守派の攻撃や懐柔を一貫して拒み続け、その支援運動は集会や出版物あるいは裁判を通してナショナリズムの復活に警鐘を鳴らしてきたことを考えれば、《遠近を抱えて》とその支援運動は90年代に盛んになる対抗言説の先駆けであったと言える。つまり、《遠近を抱えて》は、その内容においてだけでなく、それがなした行為においても、日本的なものの批判という90年代的な文脈を準備したのである。そしてその問いかけは、大浦が監督した映画《日本心中》、すでに完成したと聞く続編へと形を変えて今なお続いているのである。
天皇を神聖化(やナショナルなものを強化)する動きとそれに抵抗する動きは、現在ますます目に見える形をとっている。ナショナリズムを考えるつどいが町の活性化を図ろうという画廊で行われたのはとてもよかったと思った。それと同時に、今後このテーマで考えたり行動したりする機会には、このような言論封殺の事件を思い出したい。そして、まず「自分の自画像」がどんな要素からなっているか自分の論拠を振り返ることからスタートすること、そしてその上でリベラルの側も「封じる」ことなく多様な意見に拓かれた議論の場をつくっていくことに務めたいと強く思った。針生一郎さんのトークもよかったので紹介できないのが残念だ。