女性学会の「社会を動かす女性学」シンポへの疑問・質問

 6月19−20日、大阪ドーンセンターで開催された日本女性学会大会に参加してきた。目的は、ワークショップ開催であったが、他に19日のシンポジウム「社会を動かす女性学」ならびに、女性学会総会に参加してきた。シンポや総会に参加し、意見を言う中で、女性学会を運営しているみなさんがあまりに批判的な視点への感受性が鈍っており、自らを反省的に振り返ることができず、なんでも「これでよいのだ〜」というスタンスで行動してしまうことが慣行になっているのを再確認してきた気がする。自分の立場を振り返る意味でも忘れないようにしたいので、ちょこっとだが報告しておきたい。他にも、地道な研究が少ない気がするとか、研究の中身として生身の人間がいない感じがするとか、パネリスト同士が議論・討論を避けているように見えるとか、いろいろ思うことはあったが、今日は触れない。山口智美さんのふぇみにすとの論考ブログに詳しく紹介されているのでご覧ください。(ちょっと間違いを直して、追記しました。6.23 17:40)

 まず、シンポでの最初の登壇者である江原由美子さん、「女性学の歩みと社会」という発表をされた久しぶりだったが、ずいぶん荒いご報告だなと相当びっくりした。昨年度が女性学会設立30周年だったので、31年目の今年も女性学を振り返るという趣旨のもの。女性学者が多数参加している学会での報告とは思われない、大学新入生向けかと疑うような内容だった。案の定、江原さんのすぐ前の最前列に座っているさる著名な学者さんですら、シンポの最中、ほとんど船を漕いでおられるというあんまりな展開だった。

 パワポでのご発表内容は、かつて論文で日本の女性運動、女性学の歴史を書かれた江原さんらしく、70年代から現在までの「女性学ジェンダー研究の流れ」を以下のようにかなりおおざっぱに語られた。
  1970-1976 女性学前史(リブ運動期)
  1977-1983 女性学創設期
  1984-1990 フェミニズム理論導入期
  1991-2000 ジェンダー研究成立期
  2001-2009 バックラッシュ対応期
  
 この女性学の歴史自体、フェミニズム理論を導入して、その後ジェンダー研究が成立して、そしてバックラッシュにあって、対応に大変というストーリーのようだった。江原さんの言葉を思い出しても、「グローバリゼーション」や「バックラッシュ」という社会的な事象が大きく影響していること、そうした社会構造の変容そのものによって女性学ジェンダー研究はものすごく影響を受けたり、痛手を受けたりしている、とあたかも、日本の女性学は、「社会によって動かされてきた」といった語りに終始していた。あれあれ、日本の女性学は学問の知として何を提示し、また社会運動として何を達成したのか、見えてこないなあ、まるで、主体性のない、あたかも、自分たちはこんなに翻弄されまくった、という被害者としての女性学語りだと思った。

 しかし、学会のプログラムをふとみてみると、木村涼子女性学会代表幹事の名前で「シンポジウムでは、女性学誕生の志にたちもどり、社会を動かすという視点から、女性学のこれまでをあらためて問い直したい」という趣旨が以下のように書かれているのではないか。 

フェミニズムの内外からの批判は、女性学が社会を動かす力をもってきたために生じているのか、あるいは動かし得ていない、あるいは事態を後退させているがために生じているのか。国や自治体の進める男女共同参画政策はフェミニズム女性学のめざす方向とどうつながるのか。容易に解ける問いではないだろうが、シンポジウムでは、女性学誕生の志にたちもどり、社会を動かすという視点から、女性学のこれまでをあらためて問い直したい。

 そこで、質問タイムに、社会を変える女性学の視点から振り返るという趣旨なのに、江原さんのご報告は、社会に翻弄される女性学といった被害者の女性学であった。そう思っているのか。そうではないのであればどういう歩みだと思うのか、と聞いてみた。江原さんのスタンスはあまりにも趣旨とずれているという質問だったが、はぐらかされた。江原さんは私の質問の意図をずらして、「女性学は何もしてこなかったのか、という質問があった」と読み上げられたので、江原さんの報告は、女性学会のシンポの趣旨とは合っていない、むしろ逆に見えるという質問のポイントは会場には通じないものとなってしまっていた。そして、われわれの力が認められたゆえに、バックラッシュが起きたというようなことをおっしゃっていた。なんだか反省的な視点ってないのかなあ、それがなかったら、女性学の振り返りの意義も半分以下かないことになってしまうなあと思った。
 
 他にも、バックラッシュについてのいい質問がはぐらかされていた。学生さんだったから、よく勉強しなさいねというレスになっていた。ほんと失礼だと思った。質問というのは、バックラッシュにも、当事者の歩みを振り返り、軸をぶれないように再確認するというプラスの面はあるんじゃないかという鋭い問題提起であった。また、「バックラッシュ」とは何かという定義が不明確なまま使われていることへの問題提起でもあった。しかしそれは通じていなかった。どっと疲れた。しかし終わってから、その方に話に行ったら、後にこのようにブログに書きましたとご案内があった。(追記:さらに、質問と応答について、とご自身の振り返りについては、感想文として、http://moratoriumer09.blog54.fc2.com/blog-entry-316.htmlに詳しく書かれている。この学生さんの方にはるかに共感してしまった。)フェミニズム女性学にとってもバックラッシュを振り返ることは重要な機会になると思う。

 第三に、反省的視点がないことを思ったのは、総会運営についてである。今年の総会は紛糾した。30分もオーバーした。会計年度や執行部体制のしくみが実際と制度上とが合わなくなっているという指摘があったり、いろいろ重要な審議があった。最後に、女性学会誌の裁断費2万円が計上されているが、それは高い、古本屋に売るとか他に方法がないかという質問が出た。その答えがまたヘンなものであった。返品されてきたもので汚れてもう売れないものだ、出版社の在庫保管料がかかるとか、裁断の他に方法がないのかという質問の意図とはすれ違った回答が繰り返し出てきており、なんだかなあと笑えない展開だった。

 このように、女性学会に出る度に、女性学の置かれている状況がこんな力を得たとか、よくやったのに、認められずバックラッシュが起きたとか、批判的な視点を忘れたような議論はもうどうかしなくてはならないと思う。なんか地道な研究や運動とはかけはなれた、空想、妄想で気に入った図を描いているような非現実的な空間であった気がする。大きなミスマッチ感を持ってしまった。反省的な視点をもっと強くもたないとまずい、ということを自戒の念とともに、帰路についた。忘れないようにここに書いておくことにする。

 追記:学会総会の箇所でわたしの誤解から当初、誤った表現があり、コメントでご指摘を受けて修正しました。大変申し訳ありませんでした。(6・24記)