既存メディアとネットメディアのゆくえ

 2011年になりました。今年もぼちぼちといきますので、よろしくお願いします。

保坂展人のどこどこ日記を読んだ。「新聞・テレビという既存メディアが、どんどん元気がなくなり、取材・分析の力が衰えていくと、現状では「ネットの言説」も同時に地盤沈下していく」「2011年は、オルタナティブにネットメディアが確立されると共に、既存メディアが再度立ち直り活性化する道も考えていかなければならない」というのを読んで、はっとした。ネットで頑張るというだけでは、その一方で既存メディアが地盤沈下してしまって、ネットの未来も明るくならない、ということだ。

すると、「既存メディア」が、「既存」すなわち「主流」、として立ち続けることが難しくなってしまうということなのだろうか。そういえば、お正月の間もローカル、全国放送を含め、テレビはほとんど見ていないことに気づいた。見ているのは、BSの番組くらいだ。日本の温泉ルポ、居酒屋番組、歌番組、イタリアの田舎など観光番組などなど、時事性もなく、すごくわくわくもなく淡々と見る番組が多かった。印象に残っているものといえば、2001年に放送されたという松嶋菜々子主演の「百年の物語」の再放送くらいだ(これは、刑法堕胎罪や姦通罪が生きている時代をうまく伝えていると思った)。新聞は特に興味を引くものもなく、そういえば、全国紙は昨年購読を止めてしまっていた。テレビを見たいと思わないし、新聞を読まなくても特に渇望感もなく、日は過ぎていくのだ。


思えば、わたしがそもそもメディアとのつきあいを始めたのはメディアに描かれる女性像の検討であった。それから発展して、女性運動とメディアの関わりで修士論文を書き、批判的ディスコース分析という言説分析にとりくんできた。これらはみな、メディアやメディア言説のパワーを解明したいと思ったためであった。その後、ホームページ「ジェンダーとメディア」を立ち上げたのが1997年頃。2004年からは、2004年7月から ジェンダーとメディアブログでつらつらと思いを述べてきた。ネット発信を始めてもう13年。干支の一回りをとうに超えてしまった。既存メディアに対抗してネットメディアを自分たちでオールターナティブメディアとして活用していけばいいと、軽く考えてやってきた。


しかし、考えてみれば、メディア研究はラジオ時代の「弾丸理論」にはじまり、その後テレビその他のメディアが浸透し、「限定効果」とか「沈黙のらせん」とか「培養理論」とかメディアの効果についていろいろ言ってきたが、ずっとどこかに「既存メディアのパワーや影響力は大きい」という前提を秘めていたように思う。


ネット発信をするにしても、そういう前提がどっかにあるから、既存メディアの足りないところを補うはずだし、既存メディアをよくすることにつながるだろうと、深く考えることなく、そう思ってやってきたところがあったように思う。

しかし、今改めて思うのは、新たなネットメディアについても経済モデルが確立されないままネット発信が盛んになり、新聞やテレビなどの既存メディアは、経済的に立ちゆかなくなっている。もう既存メディアはもはや単純に影響力が大きいといった「強力効果」論では語れなくなっているのだ。それと関係するのかどうかはわからないが、最近の菅政権についてや、小沢氏の政治と金を扱う報道などを見ていると、既存メディアはもう信頼に足るとはとうてい言えないところまで来てしまったように私には思える。


ということで、今年は原点にもどって、既存メディアとネットメディアのありようなど、メディアについて考える機会の多い1年にしたいと思う。補足するなら、新聞やテレビが衰退してまったくダメというのではなく、ふとBSで見た村上龍の「カンブリア宮殿」という番組など、村上龍という新しい視点を導入して突っ込んでいて、テレビらしくないおもしろさがあったように感じた。ニコニコ動画での政治絡みの生番組もおもしろいと思うし(カンブリア宮殿でニコ動の採算化に取り組んでいるという夏野さんをみて、興味をもちました)、シノドスの既存メディアとのコラボにも新たな視点があると思う。既存メディアとネットメディアのつながりを含めて、既存メディアとネットメディアのゆくえに注視していきたいと思う。どういった方向に活路を見いだせるのか、興味をもって見ていきたいということでもある。