研究に入り込む研究者の視点

これも大変遅まきながらのお知らせなんですが、bogus-simotukareの日記さんが「歴史評論」8月号について紹介されている中で、井本三夫著『水橋町(富山県)の米騒動』の書評についてご紹介くださっています。ありがとうございます。

歴史評論の8月号の内容については、歴史評論サイトにも載っています。なにせ特集が院政期王家論の現在というものです。わたしは、このテーマにはとても疎いのですが、黒田俊雄氏の提唱された「王家」をキーワードに中世日本の権力構造を考えようというものとか。ご関心をお持ちの方はぜひ図書館などでお読みください。

黒田俊雄氏は『村と戦争 兵事係の証言』 (桂書房、1988年)を書かれたことを知っていたが、王家論の方ということは今回初めて知りました。

ちなみに黒田氏は富山県砺波市大門のご出身である。ちなみに、大門は、「だいもん」と読むのではなく、「おおかど」と読み、「おおかどそうめん」が知られています。全国的にも珍しいまるまげ状の素麺で、全国一長いそうめんともいわれています。

本題に戻ります。井本氏の『水橋町(富山県)の米騒動』については、何度か当ブログで触れていますが、上記の書評を書いた時に新たに気付いたことが2つあった。一つは、米騒動研究というかより広くいうなら社会運動研究は、変化を求める時代に盛んになるということだ。よりリベラルな空気が強い時に、米騒動はどうして起きたのか、どうやって政府を倒すうねりが起きたのか、といった変化の潮流に対する関心がより強くなっている時に、研究が盛んに行われてきた。例えば、1968年は米騒動50周年にあたっているさのが、研究が盛んだったこの時期は、ご存じのように、学生運動ベトナム反戦、その他もろもろ社会運動が渦巻いていた時期である。そうした時代に米騒動研究は活性化するのであり、ずっと安定している時期にはそう関心が持たれていないように思う。

 二つ目に、研究者が生息している時代背景が研究の視点にも大きな影響を与えているという点がある。米騒動「主婦の哀願運動」とかいわれたのは、戦後近代化が進む中で主婦が増えてきた時代になってのことだ。大正期に富山で米騒動を起こした女性たちは、「主婦」というアイデンティティも持っていないし、当時の報道でも「主婦」は使っていませんでした。当時の「主婦」とは、「一家の女主人」という前近代的な意味が主流でした。大正期には「主婦の友」が創刊されたので、今に通じる「家事をする女性」という意味も付与されつつあったのでしょう。

 しかし、富山の沿岸の猟師町ではその時代感覚はまだ表れていなかった時期のことで、研究者には時代感覚のズレが見られたのだった。「主婦の運動」と呼ばれるようになったことには、研究者の回りで主婦が増えてきた時代のことで、自分の生きてる社会の視点をまったく異なる時代の女性にあてはめたのであった。今から見るとどうしてそんなことになったのかと思うくらいだ。研究の視点、特に歴史の場合は難しいと思いました。

 研究は、決して客観的でございます、というものではなく、人がするものである以上、その人がもつ価値観や信念などの影響を免れることはないということだけは肝に銘じておく必要を感じる。


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