アンドルー王子報道のsex slave を「性的関係」と訳した日本のメディアの人権意識
この記事を読んで、今回のアンドルー王子の売春騒動に関するニュースの英語版と日本語報道のギャップに感じてきた違和感の原因がわかった。そして、同時に、日本軍「慰安婦」問題に対する、国際社会の反応と日本国内の反応のギャップもさもありなんと納得できた。
図らずも、アンドルー王子の事件が日本で報道されたことで、sex slaveが問題の核心とされてきた日本軍「慰安婦」問題が日本国内ではアンドルー王子事件の被害者のケース同様に、理解されていないだろうこともなんだか納得できる気がした。
上記記事が引用しているように、海外の報道では、”sex slave”という表現が多く使われていた。インディペンダント、テレグラフ、ニューヨークタイムズしかり。
しかしながら、日本の報道では、なぜか「性奴隷」という表現は目にしなかった。私はそれにずっと違和感を感じていた。どうしてだろうと。
日本では強制売春そのものには全く注意が払われず、ただ売春強要された女性が未成年であったということだけが論点になっているわけです。「淫行」や「少女と性的関係」というタイトルはそれを良く物語っています。
「だれかの妄想はてな版」が書かれているように、日本ではこの女性が「強制売春」の被害者であったことが抜け落ちているか、軽く扱われているのだ。単に、少女と「性的な関係」をもったことがアンドルー王子の過失であったかのように。
だが、それは違う。少女の意志に反して少女を継続的に拘束し、売春行為を強要したから、それを性奴隷状態だとして、”sex slave”という表現が用いられたのである。
ちなみに、「性奴隷制」とは、「性の自己決定権のない状態に人を置き、その人に他の人の性の相手を強制する制度のことです。自由を奪われ、モノとして扱われ、無権利状態に置かれていることが指標となります」(吉見義明ほか編『「慰安婦」・強制・性奴隷』70−71ページ)。
日本軍の「慰安婦」制度でいうなら、「軍隊が女性を継続的に拘束し、軍人がそうと意識しないで輪姦するという、女性に対する暴力の組織化」(吉見義明『従軍慰安婦』231ページ)していたことをもって、sex slave 性奴隷という表現が用いられたわけである。
今回の事件でも、少女が意に反して性行為を強要された、しかも継続的に強要されていたという状態であるからのsex slave表現であったのだろう。どのメディアもそれを使っていることから、そうした認識が共有されていることがわかる。
しかし、今回日本の多くのメディアが、未成年の「淫行」と表記したことから、「意に反した性行為の強要」を「女性への重大な人権侵害」とは認めていないことが、はからずも推測できる。これは、従軍「慰安婦」問題におけるもっとも本質的な部分を理解できていないということにもつながる。「女性の人権」に関する国際社会と日本のとらえ方の溝は深いなあと暗澹たる気持ちになった。
国連で「性奴隷制」という概念が公式用語として使われるようになったのは、1993年6月のウィーン世界人権会議に遡る。ウィーン宣言では以下の文言が入り、女性に対する暴力に関する宣言を採択することを望み、各国に宣言に沿って女性に対する暴力と闘うように強く求めた。今から20年以上も前のことだ。
>>武力紛争の状況における女性の人権侵害は、国際的人権の基本原則および人道法の侵害である。特に殺人、組織的強かん、性奴隷制、強制妊娠を含むこの種のあらゆる侵害には、格別に有効な対応が必要である。
解決が迫られる「慰安婦」問題は、よく言われるような韓国との間だけの外交問題にとどまるものでは全くない。国際社会は、「女性の人権」問題として注目しているのである。日本国内での、女性の人権に対する認識を改めることから始めていく必要がある。アンドルー王子の一件がそのことを強く教えてくれている。