今朝の朝日新聞「ジェンダーフリー」記事

今朝の朝日新聞に「ジェンダーフリー 『不使用通知』 広がる波紋」という記事が載っている。これをみてびっくり。「ジェンダーフリー」とは、「つくられた性(ジェンダー)にとらわれず、個性を発揮すること」となっているではないか。あああ、フェミニズムは性差別を解消するために「ジェンダー」を導入したのではなかったか。



遠藤織枝さんが「正しい定義普及へ努力を」というが、「つくられた性(ジェンダー)にとらわれず、個性を発揮すること」という意識中心主義では、限界がありありですねえ。やっぱり「ジェンダーフリー」論争はどっかヘンだ。



これについては、また書きます。その間に山口智美さんのブログでも記事書かれていました。ご覧下さい。http://diary.jp.aol.com/mywny3frv/198.html

追記

コメント欄にちょっと書きましたが、この記事の問題は、これらの問題を全て「ジェンダーフリー」問題として片づけようとしていることです。なんでもかんでも「バックラッシュ」という袋に放り込んで真に問題を解決しようとしないのと同じノリを感じます。

一つ一つを、それぞれの文脈において解決策を探ることが大事と思います。これじゃあ、萎縮効果が大きいことを懸念します。


堂本県政における女性センター閉鎖の問題は、これまでの議会と知事とのやりとりがあってその流れで起きたもの。それを「ジェンダーフリー」の「不使用通知」の波紋が広がったという理解をしても、この問題の解決に結びつかないように思います。全国で大変な状況が起きているという警告がかえって萎縮効果をもつだけではないかと心配です。


また、福井の男女共同参画推進員による「撤去」圧力の問題についても、いっしょくたに「ジェンダーフリー」として扱うのはふさわしくないと思います。当局は、「撤去ではない」と言っているようでもあり、男性も「ジェンダーフリー」だからダメと言っているわけでもなさそうなのに、どうして「ジェンダーフリー」問題として片づけたがるのだろう。

なんでもかんでも「ジェンダーフリー」問題とするメディアのアジェンダ設定にこそ問題があると思う。