高岡「市民の歌」に関する高岡市議会議員アンケート結果についての考察

以前、「高岡市民の歌」の性差別性について問題提起したシャキット富山35高岡市議会議員全員に、アンケートをとりその結果を集約している(高岡市議会議員への「男女平等推進に関するアンケート」結果集約一覧表、2019年6月、末尾に添付)。

 

以下は、シャキット富山35から市議会議員アンケート結果について考察を書くようにと依頼されまとめたものである。シャキットの許可を得て、掲載する。

 

なお、アンケートにも書かれている勉強会が明日11月17日に開催される予定と聞いている。どういう話し合いになるかその結果もまた楽しみである。

議員アンケートの結果が浮き彫りにする高岡市の過去と未来

                                 斉藤正美

議員の所属政党による温度差

 最初に、「市民の歌」の歌詞の「性差別性」への問題提起をしてきたシャキットのみなさんが、高岡市議会の全議員にこの問題をどう考えるかというアンケートを行い、結果をまとめ報告されることに敬意を表したい。とりわけ、回答がなかなか来ない中、個別の議員に電話をかけ催促して回るという苦労が実りようやく10名の回答をみた時のアンケート実施者たちの安堵感はいかばかりのものかと思う。

 このような議員の無関心さ、特に、市民ニーズへの対応が低調であることをどう考えたらいいだろうか。いくつかの視点からこの点に踏み込みたい。まず会派別に見ると結果は歴然としている。社民党及び共産党が100%回答率、公明党が50%、自民党が25%の回答率であった。社民党および共産党については、男女平等推進政策、ならびに市民グループが市政に対して行っている問題提起に対して、議員としてもきちんと対応しようというスタンスが明白と言える。反面、最大会派の自民党は、大半は単に、○をつけておいたぞと言わんばかりの無関心さが垣間見える内容だ。特に他の会派と比較するとそれが浮かび上がる。しかし、例外的に丁寧に答えている議員もいることは、光明が見えると前向きに捉えたい。回答数が少ないアンケート回答ではあるものの、その結果からは市議会議員として誰を選ぶかという、選挙民にとっての重要な示唆が浮き彫りになったのは意義深い。

 アンケートを検討する第二の視点として、設問に対する答えを数量的に分析するより、自由記述の分析が重要と思う。自由記述に記入している議員は、この問題にある程度関心を示しているとも見ることができる。そして記述内容を精査すると議員の関心の方向性がわかる。特に、性差別以外の問題についても問題を感じている議員が少なからずいることは心強い。そうした議員とは話し合える余地があるし、彼らの回答はシャキットが今後、「市民の歌」の問題性をより広い層に届ける際のヒントにもなるものだ。以下、自由記述に力点をおいてアンケート結果について考察を加えていく。

 

「市民の歌」と性差別のつながりの見えにくさ

 「高岡市男女平等推進条例の内容」を問うた回答では、1人を除いて全員「知っている」であった。これをもって、議員がその内容を把握していると理解するのは早計であろう。むしろ、その他欄に「最近知った」と記述している議員がいたが、私には、その回答の方が正直だと思え、好感が持てた。

「市民の歌」の歌詞の性差別性を問う質問への回答は、その他としてコメントを記述する回答に興味深い見解がみられた。特に、「ア. 男性優位で性差別を感じる」「イ. 良い歌詞であり、性差別は感じられない」の「ア、イの事項について、感じないです」という議員や、「性差別とまでは思わないが、学校で子どもたちに歌わせるとなると気になる」という議員がいた。

 これらの回答からは、「市民の歌」がどう性差別であるか、学校でこの歌を歌わせることがなぜ問題なのか、もっと丁寧に説明し尽くす必要が感じられた。(家事のみならず)仕事の上での性別分業体制が結果的に性差別社会をつくっている。だから歌詞の中で、男は力仕事や匠の技術など(の有償労働)、女は愛する人をやさしく支える、といった性別分業の発想を「高岡の良さ」として伝えていることには問題がある。また、男女の愛をことさら謳っていることから、おそらく異性愛を前提にした歌であろう。異性愛を前提とした歌は、「自分の好きになる性はどのようなものか(もしくは好きにならないのか)、自分の性をどのように認識しているか」という「SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity:性的指向性自認)」を学ぶ必要のある学校の生徒に歌わせる歌としては、適切ではないと思う。

 回答した議員の中でも、「性差別は感じない」という回答が4割あり、また「性差別」という用語になにかしらのひっかかりを感じながらも、「性差別」ではないと考えているらしい回答が2割あった。この歌の何がどう「性差別」なのかについては、一般市民にはもっと理解が及んでないだろう。この社会に性差別や性的指向に関する差別が蔓延しているにもかかわらず、多くの人には埋もれて見えていないということでもある。このアンケートは、これを機に議員さんを巻き込み、男女平等社会をめざし、性差別問題に取り組んでいかなければならない現実を映し出したといえよう。

 

「市民の歌」における一部地域優遇と高岡の排他性

 さらに、「市民の歌」について、「特定の人、場所のみが取り上げられていて市民の歌としてはどうなのか」や、合併を記念して制作した「「市民の歌」自体に違和感を感じる」など疑問を示すコメントが複数あった。これは、「市民の歌」が性差別以外にも問題があることを示している。すなわち、旧福岡町との合併を祝った歌にもかかわらず、「御車山」を擁する旧高岡市の一部地域のみを謳った歌詞では新しく高岡市民となった旧福岡町の人を無視するかのようで、福岡との合併に際して作った歌としては失敗である。合併を祝う歌として不適切だったということを議員が認めているという点で意義のあるコメントだ。合併を記念する歌であるにもかかわらず、福岡のつくりもん祭りにスポットを当てるのではなく、旧高岡の中心街の祭りにスポットを当てるという権威主義的で排他的な歌を「わが町高岡」の歌として歌う気にはなれない人も多いのではないだろうか。

  しかも現在の高岡市にはブラジルや中国、フィリピン、ベトナムなどにルーツを持つ人たちも多数住んでおり、外国籍の児童・生徒が富山県内で最も多く在籍している。排他的ではなく包括的で多様性を認め、寛容な町でありたいと私は思う。

 ちなみに、「わが町高岡」の権威主義や排他性の由来を遡れば、前田利長・利常をカリスマとしてきた加賀藩が、前田利長の古城、菩提寺瑞龍寺、利長廟などカリスマの象徴を抱える高岡を「加賀藩領全体の神話的・観念的な宇宙の核心」に設定してきたことによるという。「市民の歌」が中心に据えている御車山祭りの曳山の意匠にもその宇宙は示されているというのだ(小馬徹「猿と猩猩が守る都市宇宙ー高岡御車山祭のコスモロジー」『歴史と民族』34・神奈川大学日本常民文化研究所)。我々は、排他的な高岡市がいいのか、それともどんな高岡市をめざしたいのか、と問われているのだ。

 

「男女平等問題処理委員会」の今後に向けて

 「男女平等問題処理委員会(以下、処理委員会、と略す)」については、議員の中でも見解が分かれた。「もっと親切な対応が必要」などと申立への対応が少々乱暴だったと認める議員もいた。また、「根拠もなしに認められないというのはどうかと思うが、認められないから見直した方がよいというのもどうかと思う」というコメントもあった。この記述からは、見直すにしてもどう見直すのかという具体的な議論が必要なことがわかる。

 「処理委員会」に関する勉強会への参加を問うた際に、参加の意思を示した議員が2名のほか、「意見交換」であれば参加する、「内容と日程」次第で参加するがそれぞれ1名ずつあった。「勉強会」というと、講師が来て一方的な講義を聞かされるイメージがあるのか、そうした型苦しい「勉強会」より「意見交換」など自由に討議できる形式が好まれ、参加率も上がることが示唆されている。それ以外に、「その他」を選択しつつ、記述はない議員もいた。このように「処理委員会」については多様な意見があることが示唆された。

 最後に、複数の問に「その他」と回答しつつ、コメントを付さない議員がみられたことに触れておく。この回答は、アンケート自体への不賛同を示している可能性があるが、いかんせん議員の回答としては、説明不足を指摘されても致し方ないだろう。

 8月21日にシャキット有志が生涯学習課課長を訪れたという。その際、同課課長は、合併15周年の本年、30万円の予算で新たに「市民の歌」の募集をかけ、「市民の歌」の普及・醸成のために、集まった歌の冊子を作るといった趣旨の話をされたようだ。新たに募集される「市民の歌」と現在ある御車山を謳った「市民の歌」との関係は謎である。「市民の歌」問題に関する高岡市の迷走はどこまで続くのだろうか。

 高岡市民の我々は一体、どういった高岡市であればよいのか。市民として、一人ひとりがしっかりと考えていきたい。

 

 

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高岡市市議会議員への「市民の歌」アンケートby シャキット富山

 シャキット富山35による高岡市議会議員へのアンケート設問

1. 高岡市は、男女平等推進条例(以下、推進条例)を制定し、それに基づいて行政と市民が協働で活動を進めてきました。あなたは条例の内容をご存知ですか。

 ア、知っている  イ、知らない  ウ、その他(      )

2.あなたは2015年に旧福岡町との合併10周年を記念して作られた『高岡市民の歌』をご存知ですか。

 ア、知っている  イ、知らない  ウ、その他(      )

3. 『高岡市民の歌』の歌詞2番について感じられたことは、次のどれに該当するかお聞かせください。

 ア、男性優位で性差別を感じる。  イ、良い歌詞であり、性差別は感じない。

 ウ、その他(      )

4.私たちは『高岡市民の歌』が男声を賛美・強調し性別役割分業を助長する内容であり、推進条例の目的に合致しないので「男女平等問題処理委員会」(以下、処理委員会)に「廃止」を申し出ました。申し出たことは、ご存知でしたか。

 ア、知っている  イ、知らない  ウ、その他(      )

5. 「処理委員会」の回答は、「廃止の必要性は認められない」という一片の通知でした。通知責任者名も根拠も明記されていませんでした。「処理委員会」についてお答えください。

 ア、処理委員会を見直した方が良い。 イ、現代のままでよい。 

 ウ、その他(     )

6. 私たちは、「処理委員会」の在り方について、勉強会を開きます。あなたは、ご参加いただけますか。

 ア、参加する(日程が合えば)。 イ、参加できない。 ウ、その他(     )

 

 

 

「共犯者たち」、富山でも上映予定

以下はお知らせです。

 

>昨年暮れから東京で封切りされ、評判を呼んだ、韓国の保守政権下の言論弾圧とそれを抗ったジャーナリストの記録を作品化した、ドキュメンタリー映画「共犯者たち」を来週8日にサンシップとやまで初上映します。わずか8日(土)2回の上映ですが、お見逃しされることがなきよう、よろしくお願いします。

なお2回上映の間、13時より、作品に詳しいライターで編集者の岡本さんの特別講演もセッテングしました。講演もあわせてお聞きくださいますようお願いします。 

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◆上映作品:「共犯者たち」

◆会場:サンシップとやま 福祉ホール

   日時:6月8日〈土)

     11:00~1回目上映/13:00~岡本さんの講演/14:30~2回目上映

     岡本有佳さんの講演

        演題「韓国放送人と市民たちの《抵抗と連帯》」

◆チケット   :前売券1200円、当日券1500円、高校生以下無料

◆チケット取扱:県民会館、県教育文化会館、高岡文化ホール、新川文化ホール、

         コラーレ、入善コスモホール、小杉文化ホールラポールアーツナビ

◆主催:シネ・ラ・セット21

      (問合せ090ー5685ー9866 )

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※「共犯者たち」公式サイト 

    http://www.kyohanspy.com/

 

シャキット富山35集会「524万円もかけた「高岡市民の歌」またまた公募?」で思ったこと

昨日、シャキット富山35の集会「524万円もかけた「高岡市民の歌」またまた公募?」で問題提起をさせていただいた。私の提起はさておいて、フリートークに参加して気づいたこと、その後少し調べて思ったことをとりあえず2点だけ、報告がてらメモっておきたい。
 
まず、「市民の歌」はこちらです。
 

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1)この歌への批判だが、歌詞の問題点が「男しか出てこない」ことではなく、「男はりりしく」「女はりりしい男を支え生きる」それが「家族の愛」だという、「性役割や家族愛の強調」にあることに、私は昨日の参加者の発言からようやく気づけた。
 だから、この歌が、男を強調・賛美する歌だからまずいというより、「男はりりしく、女はその男を支えて(家族)愛に生きる」という性別役割分業による生き方を高岡市民は「心の支え」にするようにと謳っていることが男女平等に反するから問題だということだと思う。
 さらに言えば、林真理子氏が「男たちのりりしさ」を讃えた御車山(みくるまやま)祭りは、その説明が見当たらなかったが、依然として女を排除する祭りである。女の子は山車に上れないし、曳き手も男性のみである。
 山に上れることに「優越感」を感じたという高岡の男性による正直な感想もある。>「山町の男の子しか乗れないのだ。」という優越感みたいなものも少しあったように思う。
 このように女を排除する祭りを町の自慢として営々と続けていくのはどうなんだろう。これに女の子ものせるように、また曳き手に女性の参加するようにと働きかけるのが男女平等推進条例により「男女平等社会を目指す高岡市」行政のやるべきことではないのかと今回のシャキットの申し出とそれへの市の対応を通じてつくづく思った。
 さらにそれだけではなく、今回恥ずかしながら初めて御車山に関心を持ち、サイトなどで調べてみると、なんと近隣の町々より自分たち高岡の祭りがすごいとして近隣の町が同様の曳山車祭りをすることを許さなかったという恥ずかしい歴史があったことを初めて知った。そうした排除の歴史を祭りのサイトで自慢気に書いているのもなんだかなあと思う。 
 祭りの沿革に出てくる「津幡屋与四兵衛」なる人物が何者かも記さないサイトも自分だけわかればよいとし、予備知識のない人向けに説明しようとしない内輪感を感じさせるものだ。この人が近隣の町でも山車を出すのを見過ごせず他の町の祭りに文句を言ったところ役人に捕まり、拷問で死んだということがこの公式サイトなるものでは書かれていないが、いろいろ探すと他のサイトには書かれている。
 女を排除し、近隣の町の祭りを藩主から頂いたものではないからと排除してきた御車山の沿革を知ると、この歌だけを書き込んだ「高岡市民の歌」は、「市民の歌」としてますます適さないと思うに至った。女にしろ、他の町にしろ、他者を排除する特色を持つ祭りを「ふるさとの誇りや愛着を育」む歌とするのはどうなんだろう。しかも、福岡町との合併を記念する歌なのに、高岡の中心街のいくつかの町衆の男衆だけの祭り、しかも他者を排除することで成り立っている祭りをことさら歌詞に入れ込んだ歌はふさわしいわけがないと思った。こういう歌を、隣町との合併記念に作るセンスも甚だ残念としか言いようがない。 
こんな「おらが町自慢」に終始しているから高岡は地盤沈下も甚だしいんじゃないのーとも思った。
新たに公募をかけるとして3番、4番を追加したいと市長は言っているようだが、こんな排除の論理に満ちた祭りの歌が2番にあるのであれば、その歌自体、市民の多くから愛されないのではなかろうか。
  
 
 2)高岡市男女平等問題処理委員会は、市民が問題を提起する場であるが、その処理委員会が誰が委員長かということも示さない無責任体制である。さら、なぜ申し出を却下したかも公に示せ得ないほど自らの判断に自信が無いのか、あるいは秘密主義なのか、いずれにしてもこの委員会の責任のとりようが問題だと私は集会で述べた。
 すると、参加者の中から、問題処理委員会自体が一番問題だという意見が出た。セクハラやレイプ、DVなど性暴力が#me too 運動でやっと少しは表に出てくるようになった昨今、そうした問題の駆け込み先であるべき問題処理委員会が機能しないのは本当に由々しき事態であると私も思う。
 地方自治体の第三者機関でも、存在の意味はあると思う。何も訴える先は国だけではなく、地域ごとに多くの駆け込み先があるということが重要なのである。高岡市の男女平等問題処理委員会は、富山県内では唯一の第三者機関である。それが機能しないのは非常に大きな損失であることが再確認出来た。
 今後は、多くの人が申し出て使っていくのがいいのではないかということも述べたし思っている。

「ふぇみん」に、「本当に、「富山は日本のスウェーデン」?」寄稿しました。

「ふぇみん2019年3月15日号より https://www.jca.apc.org/femin/f:id:discour:20190301133003j:plain

『富山は日本のスウェーデン』(井手英策著・集英社新書)への異論をいう集会の記事

 

女性の地位向上など 学習会で問題を提起 

「日本のスウェーデン」に異論

>同書では、出生率や女性労働力率が高いことから北陸と北欧の類似を指摘する。しかし、県内では女性の就業率が高くても管理職の割合は低く、家事負担率も高いことから、女性の地位の低さや負担の大きさなど重要な視点が抜け落ちていると批判も出ている。会では困窮者支援に関わる人やシングルマザー経験のある人らが登壇し、暮らしの中で感じる問題や県の政策について自由に発言した。

二十数年前にスウェーデンを視察した「認知症の人と家族の会」の勝田登志子さんは同書に「介護の生活実態が書かれていない。富山はスウェーデン? 全く逆だと思う」と語り、高岡市のウェブ制作フリーランス笠谷亜貴子さん(48)は「(富山では高福祉が)女性の犠牲と我慢によって成り立っていることを称揚している。スウェーデンで公的な福祉である部分を、自助努力でカバーしている富山はすごいという褒め方に違和感がある」と話した。

会場からは「県内の首長はLGBT(性的少数者)問題など人権の問題には無関心」といった意見が出ていた。主催者の一人で富山大非常勤講師の斉藤正美さんは「集会では認知症、男女賃金差別、障害、LGBTなど抱える問題は違えど今の政策では困るという人がいた。制度を変えたいと考える人たちの小さな声を聞き取る場を今後もつくっていけたら」と話した。 (柘原由紀)

 
 

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20190221/CK2019022102000244.html

「富山は日本のスウェーデンか?」集会がニュースに

昨日、富山市で開催した「富山は日本のスウェーデンか? 暮らし⇔政策を考える!」には、たくさんの方にご参加、ご発言をいただき、感謝しております。

報告などアップしていきたいと準備していますが、まずは北日本放送さんがニュースにしてくださってますのでご覧ください。とてもマイルドな感じに仕上がっています。

 

富山は日本のスウェーデンですか?|KNBニュース|北日本放送|KNB WEB

 

 

家族を称える井手英策氏議論に見る危うさ

 本誌(『週刊金曜日』)12月14日号に慶応大学教授井手英策氏の著書『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国』に疑問を提示する「富山県民座談会」が掲載され、私も参加した。その主張に対する井手氏の反論インタビューも同時に載った。ここでは井手氏の主張が孕む問題点を指摘する。

  根本的な問題は、井手氏の表明するスタンスとその行動が矛盾していることだ。インタビューで井手氏は「保守層に利用」されることを怖れるといい、自身がリベラルの立場だと打ち出す。だが実際には保守の石井隆一富山県知事から県の基幹政策に関わる審議会のアドバイザーなど重要な委員を複数委嘱され、県主催のシンポジウムで司会をするなど井手氏は知事と緊密な関係にある。同氏は県より紹介された人脈に依存し、県のモデル事例を当該書でポジティブに紹介している。

 次に、困窮者への視点が弱いことだ。同氏は生活保護の受給率が全国最下位であることをもって富山の住みやすさの指標としている。しかし、富山では生活保護の申請が行政に認められる率が36.2%と全国平均50%に比べ低いことが受給率の低さの一因だ。同氏は行政が保護以外の制度を紹介しており、困窮者が救済されているというが、県議会では代替制度が使いづらいと指摘され、知事も対応の必要を認めている。

 第三に、ジェンダー視点がない。ジェンダー視点に基づき女性の生きづらさを主張した座談会に対して、同氏はそうした主張の根底には、男が外で働き妻が従うという固定的な家族像があるという的はずれな指摘をしている。座談会では、共働きでも家事負担の重い女性は生きづらいという例を示したのだが、同氏は共働きになれば女性の生きづらさはなくなると軽く考えているようだ。  

 さらに同氏は、「家族」をよいものとしてやたらに称揚する。危機の際には社会が「家族的なもの」に回帰するというが、根拠は示されていないし、そもそも座談会で「家族的なもの」による女性への抑圧を示したことへの反論にもなっていない。

 井手氏のように家族の内実を問わずに家族を称揚すると、家族を打ち出し、個人主義を弱め、社会保障を削減したい保守政治家らに利用されることが危惧される。

 また井手氏は、自身のフェイスブックの公開記事で富山座談会について「富山に住む人たちを貶める」と述べ、「廃刊になった保守系の雑誌と同じ構図」として、『新潮45』と同種の問題だとするなど、強く反発した。これは「日本を貶める」といった右翼言説にも通じ、批判を封じるものだ。LGBTへの明らかな差別である『新潮45』特集と我々を同種のものとみなすとは、論外だ。

 井手氏の議論は、女性や弱者を軽視し、個より公共を優先する点で極めて危険だ。これを危ぶみ、富山では複数の集会が開かれる予定だ。

                       斉藤正美(富山大学非常勤講師) 

本稿は、『週刊金曜日』2019年2月1日号の「論争」欄に掲載されたものです。同誌の許可を得て、再掲しています。