シャキット富山35集会「524万円もかけた「高岡市民の歌」またまた公募?」で思ったこと

昨日、シャキット富山35の集会「524万円もかけた「高岡市民の歌」またまた公募?」で問題提起をさせていただいた。私の提起はさておいて、フリートークに参加して気づいたこと、その後少し調べて思ったことをとりあえず2点だけ、報告がてらメモっておきたい。
 
まず、「市民の歌」はこちらです。
 

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1)この歌への批判だが、歌詞の問題点が「男しか出てこない」ことではなく、「男はりりしく」「女はりりしい男を支え生きる」それが「家族の愛」だという、「性役割や家族愛の強調」にあることに、私は昨日の参加者の発言からようやく気づけた。
 だから、この歌が、男を強調・賛美する歌だからまずいというより、「男はりりしく、女はその男を支えて(家族)愛に生きる」という性別役割分業による生き方を高岡市民は「心の支え」にするようにと謳っていることが男女平等に反するから問題だということだと思う。
 さらに言えば、林真理子氏が「男たちのりりしさ」を讃えた御車山(みくるまやま)祭りは、その説明が見当たらなかったが、依然として女を排除する祭りである。女の子は山車に上れないし、曳き手も男性のみである。
 山に上れることに「優越感」を感じたという高岡の男性による正直な感想もある。>「山町の男の子しか乗れないのだ。」という優越感みたいなものも少しあったように思う。
 このように女を排除する祭りを町の自慢として営々と続けていくのはどうなんだろう。これに女の子ものせるように、また曳き手に女性の参加するようにと働きかけるのが男女平等推進条例により「男女平等社会を目指す高岡市」行政のやるべきことではないのかと今回のシャキットの申し出とそれへの市の対応を通じてつくづく思った。
 さらにそれだけではなく、今回恥ずかしながら初めて御車山に関心を持ち、サイトなどで調べてみると、なんと近隣の町々より自分たち高岡の祭りがすごいとして近隣の町が同様の曳山車祭りをすることを許さなかったという恥ずかしい歴史があったことを初めて知った。そうした排除の歴史を祭りのサイトで自慢気に書いているのもなんだかなあと思う。 
 祭りの沿革に出てくる「津幡屋与四兵衛」なる人物が何者かも記さないサイトも自分だけわかればよいとし、予備知識のない人向けに説明しようとしない内輪感を感じさせるものだ。この人が近隣の町でも山車を出すのを見過ごせず他の町の祭りに文句を言ったところ役人に捕まり、拷問で死んだということがこの公式サイトなるものでは書かれていないが、いろいろ探すと他のサイトには書かれている。
 女を排除し、近隣の町の祭りを藩主から頂いたものではないからと排除してきた御車山の沿革を知ると、この歌だけを書き込んだ「高岡市民の歌」は、「市民の歌」としてますます適さないと思うに至った。女にしろ、他の町にしろ、他者を排除する特色を持つ祭りを「ふるさとの誇りや愛着を育」む歌とするのはどうなんだろう。しかも、福岡町との合併を記念する歌なのに、高岡の中心街のいくつかの町衆の男衆だけの祭り、しかも他者を排除することで成り立っている祭りをことさら歌詞に入れ込んだ歌はふさわしいわけがないと思った。こういう歌を、隣町との合併記念に作るセンスも甚だ残念としか言いようがない。 
こんな「おらが町自慢」に終始しているから高岡は地盤沈下も甚だしいんじゃないのーとも思った。
新たに公募をかけるとして3番、4番を追加したいと市長は言っているようだが、こんな排除の論理に満ちた祭りの歌が2番にあるのであれば、その歌自体、市民の多くから愛されないのではなかろうか。
  
 
 2)高岡市男女平等問題処理委員会は、市民が問題を提起する場であるが、その処理委員会が誰が委員長かということも示さない無責任体制である。さら、なぜ申し出を却下したかも公に示せ得ないほど自らの判断に自信が無いのか、あるいは秘密主義なのか、いずれにしてもこの委員会の責任のとりようが問題だと私は集会で述べた。
 すると、参加者の中から、問題処理委員会自体が一番問題だという意見が出た。セクハラやレイプ、DVなど性暴力が#me too 運動でやっと少しは表に出てくるようになった昨今、そうした問題の駆け込み先であるべき問題処理委員会が機能しないのは本当に由々しき事態であると私も思う。
 地方自治体の第三者機関でも、存在の意味はあると思う。何も訴える先は国だけではなく、地域ごとに多くの駆け込み先があるということが重要なのである。高岡市の男女平等問題処理委員会は、富山県内では唯一の第三者機関である。それが機能しないのは非常に大きな損失であることが再確認出来た。
 今後は、多くの人が申し出て使っていくのがいいのではないかということも述べたし思っている。