フェミニズム・サイトのメディア戦略はオープンマインドに

 「インターネットを活用したネットワーク『ウイメンズアクションネットワークWAN』」が全国の男女共同参画社会センターで「フェミニズムの財産目録」(上野千鶴子ら編者)である『新編 日本のフェミニズム』を「若い世代」にバトン渡しするために、全国の男女共同参画センターにでかけて、ネットを活用して双方向性をもったシンポや講演会をするという。
 

★拡がるブックトーク『新編 日本のフェミニズム』★
全巻完結を記念して、フェミニズムの継承をめざし協働プロジェクト「拡がるブックトーク」を実施します。この協働プロジェクトは、書籍に関わった関係者、女性政策の最前線で活躍するセンターの担い手や女性グループのメンバー、そして書籍からインターネットへと新たな展開を遂げようとしている活動家をつなぎ、2011年6月から約1年をかけ、全国各地で開催する予定です。「拡がるブックトーク」では、開催地が選択した書籍をもとに編者および関係者が参加し、インターネットを活用しつつ双方向性をもったシンポジウム・講演会を行います。

 お誘い文をみたら、 「世代を越えて」シンポジウムを開催しますとか、このアンソロジーは、「次世代にバトンを手渡す」ためにつくられました、とか、フェミニズムの財産目録を多様な世代、とりわけ若い世代に、広く深く伝えることを目的とするとか、なんかやたら、ターゲットを「若い世代」にフォーカスしているのだ。「若い世代」って若者?アラフォー?なのかよくわからないが、男女共同参画センターって来てる人が50代以上ってのがふつうなところであるからして、なんかすごいミスマッチ感が漂う。


 まあ、ほんとに若い世代(だけでなくてもいいはず。なんで若い世代にこだわるんだろう?)と双方向に議論しコミュニケーションをとりたいなら、ことさらネット環境が悪い男女共同参画センターに出かけるよりも(実際、これまで学会や研究会をしてネット環境が悪いことを痛感している。。)、日頃のWANサイトの活動こそ、オープンマインドで、双方向性をもったものにしたらいいのにと思う。

 こんなことを書くのは、山口智美さんのWAN裏方日記へのトラバが削除されたという記事を見たからだ。これを見る限り、WANのネット戦略は、あまりにまずい。いくら、批判的な意見や自分たちに都合の悪いコメントでも、だれがみても真っ当な批判と思えるものまで、削除することはないだろう。自分たちのサイトから見えないようにする、まあ、「ないことにする」というのはフェミニズムのメディア戦略としては、一番まずいことなんじゃないだろうか。公開の場で議論を闘わせてきたことこそ「フェミニズムの財産」だったのに、インターネット時代になってその方針を撤回するとでもいうのだろうか。

ネットでブログを書くということは、当然ながらいろいろな意見が書かれたものに対してくるということでもあるわけだ。しかし、批判的な内容だったら削除とは。外部からの反応を一切なかったことにしながらのネットでの発信って、いったい何の意味があるというのだろう?それとも、私のトラバが削除されたのは、単に批判だったからではなく、WANにとっての労働問題というもしかしたら一番痛いところをついたからだろうか?いづれにせよ、WANは以前にも増して、ますます閉じて行ってはいないかと思う、今回のトラバをめぐる対応だった。

 
 これでは、女性をつなぐというWANが、双方向性を重視していないようにみえてしまう。双方向性だけではなく、批判を避けて安全な空間に閉じこもっていたいようにすら受け止められるだろう。山口さんが書かれるように、都合の悪いものに蓋、という風に見える。こういうことをやっていながら「フェミニズムの財産目録」を届けたいと言ってもネット空間のマナーやルールに馴染んでいる世代の信頼は得られないと思う。
 
 しかも、痛いところを突かれてもそこから議論して新たな展開を得るというのが、フェミニズムの財産だったののだ。そのことをWAN理事のみなさんがご存じないはずがない。WANサイトには、もう少しオープンマインドなメディア戦略をお願いしたい。

 双方向だと批判がくるものであり、極力とんでもない批判が来ないように書くとか、批判が来ても建設的な議論をできるように方向づけるとか、ネットでの発信は、やっていく中で失敗しながら慣れていくものだと思う。最初から大成功はない。しかし、もっともやってはいけないことが、言論の封殺だと思う。気にくわない批判を削除して済むというのはもっともまずいメディア戦略である。フェミニズムポータルサイトとしてはそれだけは避けてほしい。

 ブログやツイッターSNSが盛んな時期に、大型のポータルサイトをつくるというWANをみていると、ネットの活用にあまり慣れていない感じがする。もしかしたら、真っ当でも気に入らない意見は削除ということがどういうことかを認識されていないのかもしれないとも思ったりしてこの記事を書いた。