〔ジェンダー概念について〕:親元サイトの<ジェンダーについて>にアップ
- 私のサイトを訪問される方のうち、「ジェンダー」や「ジェンダー論」というキーワードで検索される方が大変多い。今、ジェンダーについての関心が高まっているのだろうか。
- ジェンダー概念については、『女性展望』7月号でも「『ジェンダー・フリー』バッシングをめぐって」という特集が組まれ、名取はにわ、古橋源六郎、目黒依子、縫田よう子氏が座談会で議論している。男女共同参画社会基本法では、最終的に「ジェンダー」という用語は盛り込まれていない。それにもかかわらず、保守派は「ジェンダー・フリー」というジェンダー概念を取り上げ、批判の対象とするタクティックスをとった。
- 保守派によるこのズラしが巧妙なのは、「性差別」を外して議論している点である。
- ジェンダー概念でもっとも重要なのは、「性の差異化とその権力作用」という側面であろう。
- しかし、「ジェンダー・フリー」を持ち出し批判する保守派は、「性差意識」を批判しているのである。重要な「性差別」も「男女平等」も批判しているわけではない。
- 「性差別」「性別役割分業」「性差意識」はそれぞれ異なる概念である。
- 私だって他から価値観を押しつけられるのはいやだ。避けたい。どんないい価値観でも法律や決まりとしておしつけられるのはご免被りたい。そう考えると、「ジェンダー・フリー」批判として、性差に関する価値意識だけを問題にしている議論を批判するのはゆきすぎではないだろうか。
- もちろん、男女共同参画社会基本法は、「性差意識」ではなく、「性差別」を問題にしている。それを各自治体や市民が受容する際に生じた微妙なズレを集中的に衝かれているということなのだろう。そのずれの部分に大きな注意を払っていきたい。