「単位偽装」問題というネーミングはどうよ
前に「単位不足」問題について、北日本新聞のスクープらしいと書いた。なんか高岡南高校が県教委に報告したのが発端だと書いているブログがあった。踊る新聞屋さんだ。
http://t2.txt-nifty.com/news/2006/10/post_941a.html
「なぜ今、このタイミングで騒がれ始めたのか」「どうして、ここに来て急に大きく報道され始めたかである」という疑問は、5号館のつぶやきさんやビートニクスさんも指摘されている。<法と常識の狭間で考えよう 単位偽装問題は教育委員会潰しか?>http://beatniks.cocolog-nifty.com/cruising/2006/10/post_002a.html<5号館のつぶやき? 高校単位偽装問題と日本的官僚システム>http://shinka3.exblog.jp/4810152
踊る新聞屋さんご紹介サイトでは以下のような指摘がされている。気になるところを引いてみる。
今回の件に関してはほとんどすべてが学校ぐるみで行われていたことは間違いないことですし、私は教育委員会、場合によっては文科省もその存在を知らなかったとは思えないのです。さらに、今大騒ぎしているマスコミだって、ずっと前からそういうことがあると知っていたのではないでしょうか。
これは果たして「問題」なのだろうか?昨日、今日起こったことではなく、全国の自称進学校では「常態化」していた。生活科や社会科などのうち、その個人の受験に関係のない必修科目は、「他の科目によみかえて」、たとえば「英語の授業をやって」、その成績を「世界史」の単位として認定する。
むろん違法だが、もうずっと行われてきたということを、僕は知っている。高校教師の友人が数名いるからだ。まったく問題ないよ、って感じで話してくれたことを思い出す。守秘義務でもなかったようだ。
安倍内閣は、「教育改革」を掲げているが、その本日は国家主義にあり、地方分権を前提として、さらに地方の首長からも政治的に独立して存在している教育委員会制度を疎ましい存在と見ていることが窺われる。
そして、できることならば、現在の教育委員会制度を廃止して、「与党政治的な中央教育行政を全国の公立学校にその学校管理権を通じて貫徹させる」(前掲・兼子350頁が、こういったものであってはならないと述べている)機関として「再生」させて、中央集権的な教育システムを構築することを構想していると考えられる。
今回の全国の高校の「単位偽装」問題は、そのための最大の材料として利用されていると考えられるのである。
「単位偽装」として論じられている。え、「偽装」か??
と思って調べるとそう書いている記事があった。http://www.asahi.com/special/061027/TKY200610280205.htmlで、わたしの感想です。なんだか「単位偽装」というネーミングもおどろおどろしくて現場の実態とはずれているようで妙に気になります。もちろん違法なことだとは思いますけども、「偽装」っていかにもの悪事を表すレトリックですよね。悪事を言い立てて、ますます内閣に一極集中させて動かしやすくする利用されるような気がしてきました。
この取りあげ方の異常な盛り上げに、だんだん恐ろしい展開が予想されて、いっそう気が重くなりました。でも目が離せませんね。