男女共同参画/政府系フェミニスト嫌いって、わたしのこと?

山口知美さん(あれ間違えた。山口智美さんだ!)が「ようやく名指し批判が!」と思ったらぬか喜びでイダヒロユキさんのHPに掲載された「ジェンダー概念の進展と課題」という論文大阪経済大学『人間科学研究』第一号掲載)について書いておられる。山口さんは、これまで「名無し」で批判されていたらしかったのが、ついに「名指し」で批判かと思ったが、肝心のところが機種依存文字で読めなかったり、名前の漢字を間違えられたりと文章が延々引用がされているだけで、何も伝わらなかったと書かれている。わたしもイダ論文を読んだが、イダさんがどういった立場だと言いたいのかさっぱりわからなかった。

ところで、そのイダ論文にはわたしも登場しているので該当部分についてだけ一言書いておきたい。といってもわたしについても、「斉藤正美氏の主張」という小見出しで私の主張が単に5行ほど引用されているだけで別にどこがどうという反論がなされているわけではない。山口さんの文章と同じく単に引用があり、アンダーラインが引かれているだけだ。

斉藤正美氏の主張

 斉藤正美氏は、山口智美氏と同じく、ジェンダーフリー概念批判をされているフェミニストである。一部であるが、引用しておこう(上記HPより)。

 「ジェンダーフリー」っていう言葉は、実際にそれが使われている条例を見ても意味が定まらないものです。ジェンダーフリーの定義として条例でこのように混乱した意味を示していると、施策のレベルに下ろしても役にたつ施策が生まれそうにないです。まるで呪文の言葉のようであって、市民をかえって遠ざけるか、こういうわからない言葉をお勉強しようって、お勉強好きな人しか寄って来ない、このわからない意味をわかりたいっていう奇特な人しか寄って来ないものになっています。

ジェンダーフリーっていうふうに使ってきたのは、「女性学者が行政と一体化し『ジェンダーフリー』という意味が定まらない呪文詞を導入することによって女性運動を体制順応型に変えた」と思うんですね。ジェンダーフリーは、基本的に学ばないとわからないものになってしまっている。

ところが、その後、イダ論文では「上野千鶴子氏のスタンス」へと移りそのあといろいろなところに話が移っていったあげく、事態は急変する。突如、「斉藤氏たち」というひっくるめ、まとめの形で私の名前が登場するのだ。あれー、さっきまで、山口さんのことを「ある意味、典型的な主張をされているので、彼女の主張を元に、私の立場を説明していきたい」といっていたはず。それが突如理由もなく「斉藤氏たち」とひっくるめたのはどうしてだ? しかもその見出しが、「男女共同参画/政府系フェミニスト嫌い?」ときている。

男女共同参画/政府系フェミニスト嫌い?

次に、ジェンダーフリー=「行政による骨抜きの男女共同参画」とみなして批判する人がいることについて検討しておこう。斉藤氏たちも、「行政と学者の密着関係・一体化を示す概念だ」「この概念を使ってきた学者のメンツで使用存続にこだわっている」「意識啓発に限定するものだ」といった趣旨の発言をしている。上野千鶴子氏も「行政に参加していった研究者とそうでない研究者の間での分裂、あるいは手を汚したと思っている人びとと、手を汚してないと思っている人びとの間の相互の対立」、「行政主導型フェミニズムに巻きこまれていった研究者や言論を担った人たちに対する批判や抵抗が抑制されていく」「「男女共同参画センター」という名称に違和感と抵抗感を感じてきた」(2004年12月16日、東京大学ジェンダー・コロキアム発言)といった表現で、行政主導型フェミニズムへのかなり強い批判意識を表明している。宮台真司・ほか[2006]『バックラッシュ!』は、バックラッシュでもジェンダーフリーでもない、「第3の道」を主張しているが、その背景には、やはり行政型の男女共同参画への批判意識があるようである。

ははーん、イダさん、斉藤は「男女共同参画/政府系フェミニスト嫌い?」だと想像したようだ。しかし、イダさん、それはあなたの勝手な妄想でしょう! 「行政と学者の密着関係・一体化を示す概念だ」「この概念を使ってきた学者のメンツで使用存続にこだわっている」「意識啓発に限定するものだ」」などという議論は、ジェンダーフリー概念や政策に関する議論である。一方、「政府系フェミニスト嫌い」というのは個人的にあの人は好き、あの人は嫌いと「好き嫌い」好悪の感情を持つかどうかということだ。わたしは人の好き嫌いで主張しているのではない。フェミニズムの方向性や方略について議論しているだけだ。妄想は、イダさんのいつものこととはいえ、話の筋をずらしたあげく、勝手に私の個人的な人の好き嫌いを断定されてしまうのは大変迷惑な話だ。それに「斉藤氏」でまとめられている方たちがだれであれ勝手なレッテル貼りは歓迎されないはずだ。

イダさんの論文自体への批判やつっこみは、先にあげた山口さんのエントリーや「直線的程度の差としてイメージされている」伊田広行氏の「中間派」解釈にたっぷり書かれていますので、そちらをご参照ください。

追記

macskaさんのエントリーのリンクを間違えていました。訂正しました。