高岡金屋町の「町なみを考える藤グループ」

昨日、チューリップテレビ住民ディレクターの番組づくりで取材させていただいている「町なみを考える藤グループ」が企画運営に協力されている公開講座「金屋学」に出向いた。第3回「町屋を細部まで見てみよう」で、講師は上野幸夫さん(富山国際職藝学院教授)だった。なお、「町なみを考える藤グループ」については、高岡金屋町の「さまのこフェスタ」の仕掛け人でも書いたことがある。

「金屋学」講座には参加者も毎回多く、かつ熱心に質問されている。町の文化への関心の高さが感じられた。上野さんのお話を聞いて印象に残ったのは、高岡には金沢にはない町衆文化が残っているということだ。金沢は、加賀藩武家文化とお茶屋文化の町であるが町衆文化はあまり残っていないという。それに引き替え高岡は、町人文化が残る町並みが多くあるということだ。金屋町は特に、町衆文化の粋を残している町であり、建物と庭とが一体化した「近代和風建築」と呼ばれる伝統的建造物が数多く連続して残っているというお話だった。外国の方をお連れすると深く感動して行かれるということだったが、わたしも最初、大寺幸八郎商店のお庭を臨むお座敷に入った時は庭木やお茶室、石灯籠などなど外からは見えない文化の奥深さ、贅沢さに深く感動を覚えたものだ。

「和風近代建築」は明治中期から昭和初期に最高点に達した木造建築であるそうだが、北前船によって全国の銘石(中には樺太の石も)や銘木(屋久杉なども)が各地から運んでこられたのだという。当時は北陸地方は米の産地であり産業も文化も栄えた有力な地方であったのだそうだ。講師の上野さんは宮城県生まれ。富山に来るまでは「裏日本」と思っていたそうだが、来てみたら明治時代過ぎまでは「こっちの方が表日本だった」ことを思い知らされましたと笑って話された。

しかしながら、高岡は伝統の町並みがあちこちに多くありすぎて、却って保存についての公的支援が遅れているというのだ。富山市は、岩瀬地区しかないから、保存のための改築には7−9割の公的支援があるが、高岡はまだそうした支援がないのだという(岩瀬の次におわらで有名な八尾地区が合併で加わったので保存地域の対象になるそうだ)。一方高岡は、金屋のほかにも、𠮷久地区、伏木地区、中田地区、戸出地区、福岡地区など伝統的な建造物や文化を残す町並みは多くあり、どこを支援するか悩ましいのだろう。なんかぜいたくな悩みという気もするが、外から来る人にはここぞという見所がないともいえ、宝の持ち腐れ感もなきにしもあらず・・・だ。

町なみを考える藤グループの女性たちは、外からの支援を求めることなく、自分たちがいいと思う町の宝物を大切に保存するとともに、外に向けて開いていくことに黙って取り組んでおられる。だが、高岡市世界遺産を目指すといっている以上、いろいろと保存に力を入れていくようだ。