*曽我ひとみさんの抱擁シーンと夫婦別姓
- 曽我ひとみさんが夫のジェンキンスさんとジャカルタで再会した場面は日本のテレビや新聞で繰り返し繰り返し報道された。あの抱擁シーンには「驚いた」「曽我さんから積極的にしたことだ」とか私が通っているジムでのロッカートークでももちきりだった。『週刊新潮』でもあの感激のシーンのために民主党が100万票票を減らしたと書かれていた。
- 今朝の新聞に、曽我さんはそもそもメディアで「耐える女」というイメージを勝手に作られてきたのだ、もっと自由に振る舞えるようにしてあげたいという記事があった。確かに、マスメディアと私たちの心の一部が勝手に古きよき日本の女イメージを曽我さんに押しつけているのだろう。だから、あの「ブチュー」シーンが曽我さんの古風な日本の女イメージとあまりにも違いすぎて、みな驚いたのだ。私など、『週刊新潮』の広告だけをみて、自民党が期待ほど票を集められなかったという意味かと思ったくらいだ。
- それとは別にもう一つ、私には気になることがある。それは、メディアでの名前の表記だ。曽我さんはジェンキンスさんと結婚していても「曽我さん」とメディアも政府も呼び続けた。夫が日本に来られても「曽我さん」と「ジェンキンス」さんと夫婦別姓で呼んでいる。あれっ、自民党は夫婦別姓にあれほど反対していたんじゃなかったっけ?? それと、ジェンキンスさんってどうしてファースト・ネームで呼ばれないの?私はまだ彼の名前を知らない。誰か知ってます?
- 夫中心で回っている世の中なのに、曽我さんの場合だけ、なんだか妻中心主義のように見える。これは、ジェンダーより民族が優位に立った場合ということだろうと思う。これはナショナリティのほうがジェンダーより優先されるべき事態なんだろうと思う。
- 「耐える女」と夫婦別姓、なんだかそれぞれ政府やメディアが自らの都合のよいように使い回しているなあと思う。そういえば、北朝鮮から帰ってきた拉致被害者の子どもたちも、それぞれ20年近く馴染んできた朝鮮名の名前をメディアは報道するのを嫌って、長男、次男などと名無しで呼んでいた。これは後述するように、曽我さんの娘さんと比較したら変だということに気づく。そして、日本名を早く公表してほしがっていた。当人の子どもたちにはまったく迷惑なことだったろうが、蓮池さんも地村さんも早々と日本名を公表し、彼女ら彼らは日本名を与えられ、日本人の多くはほっとして子どもたちを日本の地に受け入れたのだった。その一方で、曽我さんの娘さんたちは「美花」さんと「ブリンダ」さんという英語と日本語名で私たちに受け入れやすいものだったから、最初から名前は報道されていた。あまりにも勝手な論理ではないだろうか。
- 名前の呼び方は、ほんとに重要だ。どう呼ばれるかにもナショナリティやジェンダーの問題が幾重にも絡まっている。この問題については、今後も継続して書いていきたい。あなたはどう思ってる?