*【マスメディア】「雌伏」という表現

discour2004-08-21

  • 「雌伏の夏ー野党の挑戦」:本日の『北日本新聞』2面の記事見出しである。おそらく共同通信かどこかの配信記事であろう。このまえの参議院選挙で負けた社共の「護憲」野党が「雌伏の夏」を送っているという内容であるが、見出しの「雌伏」にどうもひっかかる。広辞苑(第三版をみた限り)では、「雄鳥が雌鳥に服従する意)将来に活躍の日を期しながら、しばらく他人の支配に服して耐えていること」とある。
  • 記事には「二大政党化のはざまで苦しむ共産、社民両党」とあるが、わたしにはメディアが「雌雄」という二元論を根底に持っていることが「二大政党化」を増進しているように感じられる。メディアは人々の思考の根底的な枠組みを提示しているという意味で、より深刻な困難であると思う。
  • 世界の人々の志向は、価値の多様化へ向かっている。政治にも多様性原理を持たせたい、政治を多極化したい、と思うのに、なぜそうはならず狭い二元論にとらわれていくのだろうか。
  • 記事中に、「浮気」という表現が二回でてくる。共産支持者が今回の選挙では「浮気」をして他党に入れたという意味である。どうしてここでセクシュアリティのメタファーが持ち出されなければならないのだろうか。
  • どうも、志位委員長の分析自体にそのような意味が込められていたらしいが、「浮ついて変わりやすい」、真剣ではないという含意をこのような重要な決断に使うのは政治家としても、メディアとしても有権者をばかにしているように思えてならない。
  • なんだかまとまりがないが、「雌伏」に込められたジェンダーヒエラルキーとそもそも雌と雄しかいないという二元論が政治の世界にも政治記者の世界にも蔓延していることに世界観の狭さを感じてしまうのだ。
  • 東京都教育委員会における、男女混合名簿への反対と「つくる会」教科書採択など「強い国家」志向との連動にも通じる非寛容な思想傾向を感じます。どのような対抗策が有効だろうか。