小泉自民党の「女性刺客」戦術――「女性性」の悪用

しばらく原稿書きに埋没してブログから離れていたが、どうも小泉首相のなさることに黙っておれず出てきた。「女」と「メディア」を利用することにかけては、ほんと悪辣だ。メディアよ、そんなに利用されるなよと言いたい。
小泉首相が自らの政策に反対する候補を露骨につぶすための対抗馬として敢えて女性候補を集中的に擁立し、「改革のマドンナ」と称するという戦略をとっている。小池百合子西川京子片山さつき、それに高市早苗中山恭子、川口順子、猪口邦子橋本聖子などなど。ほかにも誰かありましたっけ?
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2005/08/14/02.html
これは、女性が「平和」や「穏やか」のイメージを持つことを悪用し、「刺客」という悪辣な意図を打ち消すために「改革のマドンナ」と称して送り込んでいるのだ。やることが汚い。そう思いませんか?
小泉政権は、かつて「主婦だから」と女性であることを売りにしていた田中議員の女性への人気を利用した。しかし、自らの手の内にコントロールできなくなると、更迭、秘書給与疑惑などにより失脚せざるを得ない方向に追い込んだ。今度の総選挙に臨んで、田中真紀子利用で感触として掴んだ「女性政治家活用術」をバージョンアップして今再び活用していると思う。あくどい「殺し」「つぶし」作戦という本来の意図をカムフラージュするために「女性性」「女性イメージ」を悪用している。こんなことで「女性」が悪利用され、つぶされていく(目に見えているでしょう?!)のをみるのはたまらない気持ちがする。
しかも、”メディア”がそれに乗っているではないか。さっそく「注目選挙区」とかといって、「刺客」が送られた選挙区を集中的に取り上げる格好だ。わかってやっているのか? それとも視聴率第一なのか。
今日のテレビ朝日のニュースショーでデープ・スペクターが「”女だから”として選ぶのはなんか遅れた感じがするんですよね。能力のある人だったら男でも女でもいいわけなのに」という趣旨のことを言っていたが、正論だ。「性別に関わりなく」選ぶのであれば、「全員女」とはならないはずだ。
これまで女性が出ると「女だからといってだれでもいいわけではない」というレトリックで女性たちは「女」「女性性」を基準とすることの欺瞞を指摘してきた。しかし、今度は「女性性」を利用しているのは、野党やマイノリティ団体ではなく、権力者、為政者なのだ。
権力者が「女だから」と政治家を利用している。今度は私たちの方が、「女だから」という理由で選ぶっておかしい!!と言わなければならなくなってきた。「性別にかかわりなく」というのなら、一方の性に偏ることはおかしいと叫ばなければならない。ここで積極的格差是正策だと言われたらどう答えるのだろうか。
戦争中、公領域から排除されてきた女も戦争に協力せよと言われ、「女も参加」とこぞって参加した歴史を思い出したい。これまで排除されて来た政治の世界だが、男性権力者から「今度はあなたに白羽の矢を立てた」と言われて、それが「女だから」というご都合主義の利用だとは、彼女たち自身がエリートだから、自分の能力に自信があるから思えないのだろうね・・・次から次へとなびいている。いや、逆にこれを利用してやると思っておられるのだろうが、そうは問屋がおろすだろうか。
この小泉戦術の汚さを浮き彫りにするには、「女だから」を利用した政治家をどのように扱っているか、よくみておかなければならない。その意味で、小泉首相外務大臣に抜擢された田中真紀子が失脚に至る過程でのウルサイ女パージの戦術、それに田中自身が「スカート踏んづけている」発言などで抵抗していく過程は非常に重要な意味を持っているのではないかと思っている。それにメディアがどう関わってきたのか、その点も重要なところ。今このテーマに取り組んでいるので、現在進行中の「女衒」小泉自民党?の行方はとても気になるところだ。
☆★さてさてみなさんはどう思っておられのか、どうしたらいいかなど、コメント聞きたいなあ!!☆★