行政と市民の関係:歴史的、地理的視点から

 http://d.hatena.ne.jp/discour/20060310講座の目的って一体何?というエントリーで、自分が担当した講座を振り返って反省ザルになり、以下のように講座全体をとらえ返す問題提起をいたしました。


  講座の目的は、地域の課題をくみ上げ、それを課題解決にむけていくことにあると考えます。自分達の力であるいは行政に提案し、施策として展開するようにしてもかまわないですが、いずれにしろ、問題解決につなげることが大事であり、「啓発」は逆に市民力をそいでしまうのではないかと思うのです。
  

 それに対して、(民間として)行政と協働事業を行ってこられた立場からatさんが、「行政と協働で事業を行ってきて感じるのは、男女共同参画事業推進の上で、「啓発」という言葉ほど、行政にとって都合のいい、またあとで言い訳ができるものはないのではということです」というご意見をいただきました。


 atさんは、行政が「啓発」事業を継続している原因が「市民」側にあるという反論だったかと思います。わたしの「講座内容」についての提起が、「行政と市民の関係」という一段と深い問題提起になっていますが、atさんからいただいたこの難問を考えてみたいと思います。まだまとまっていませんので、ご意見のある方、いろいろご教示ください。
 
 atさんのご意見をわたしはこのように考えました。
 行政の「啓発」事業を生み出しているのは、民間の人たち「市民」が行政を十分に知らず、市民が安易に連携したり、市民の怠慢で行政を放置してきたことに原因がある。その行政のしくみを変えようとする一つの方法が世古一穂さんの「市民参画・協働デザイン」という提起である。


 これらの点については、もちろん行政の方針を支えてきた市民の責任は否定できるものではありませんが、ここではあえて対論を書いていきたいと思います。


 まず、行政の啓発事業には、「必ずといっていいほど、女性団体(女性の参画推進のために活動しているとはいいがたい団体が多いようです)が動員のお手伝いをし、その見返りに補助金助成金をもらったり、自分たちの団体の事務を市職員に担わせたりがあります。」という部分、すなわち、行政の「啓発」事業を生み出したのは民間女性団体の都合ではないか、という点について意見を述べます。


1.行政の「啓発」事業を生み出したのは民間女性団体か
 わたしはそうは思いません。確かに、行政と民間団体は相互利害でもちつもたれつをやっているということはその通りかと思います。しかし、行政は連携団体としてどのような団体を選ぶことも可能ですが、通常保守的な団体を選びます。「連携団体を選んでいるのは行政」であると思います。それはその方が新しい事業をやらずに「前例通り」で済ませられラクだからではないでしょうか。行政機構には、そうやって体制を維持する原理が働いているように思います。2つ例を引きます。一つは、戦後の女性運動と行政の関係について、もう一つは日米の行政比較です。
 
■ 女性の制度改革の目をつんだ文部省「民主化」事業
 戦時中、女性を銃後の活動に引っ張り出した結果、戦争が終わり男たちが失意に沈んでいたとき女性たちには「女でもできる」という実感が芽生えていました。敗戦で権威が崩壊したという感覚もあって、女たちは自由に意見を言い「女性の力」を積極的に位置付けよううと張り切っていましたが、それを抑え込んだのは他ではない文部省でした。文部省は、「民主主義にふさわしい存在として向上すること」という方針を打ち出し、せっかく女性たちに芽生えていた制度改革をこの手でという取り組みの芽をすり替えてしまいました(倉敷1996)。


 その際、「民主化」という言葉を悪用し、女性が民主国家の成員となるべく反省し努力することをが女性の「民主化」だというように教えていきました。「民主化」の意味を恣意的に転用し、「民主主義とは、女性たちが順応すべき体制」なのだと「啓発」していったということです。


 このように、女性たちが、あるいは市民がやる気を出して制度改革をしようとすると、その勢いをくじくような手を打ったり、そこではなくもう少し穏健な団体とあわてて連携するといった対応はよく見ることができます。


 さらに、このような傾向は、行政の連携団体の選択だけではなく、連携する学識者の選択にも該当するでしょう。
 審議会の座長が制度改革にまで踏み込みそうになったり、首振り人形にならないとわかると、その首のすげ替えに走ることが常なることは、このブログに来られる方ならご存じのことでしょう。


 その反面、何も行動を起こさず、行政にとって安心な座長や委員は何期でも委員の任期が続くわけです。こういったことは、わたしが住む地域の自治体が例外であるわけでもなく、どこの自治体でもあたりまえのように繰り広げられてきました。


 わたしは、行政がどこの団体、どの学識者(講演の講師も)と連携するか、は周到に考え、練り上げられていると考えています。こういう人事権(?)によって行政は施策の舵取りをやっていると考えています。


 これは、『ジェンダー研究が拓く地平』に載った「敗戦直後の新聞にみる『女性参政』」で下記の倉敷伸子論文を引きつつ書いたことです。(倉敷伸子「地域婦人団体の女性「民主化」教育――性差と「民主化」をめぐる一考察」赤澤史朗・粟屋憲太郎他編『年報日本現代史第二号 現代史と民主主義』東出版、1996年)


■ 「日本では住民の代表として一つの地域に一つの組織しか認めてこなかった」
 シアトル市の例との対比で日本での行政と市民との関係を探った西村によると、「日本では住民の代表として一つの地域に一つの組織しか認めてこなかった」ことが多様な市民の考えが行政に入っていきづらい理由とされていました。(西村祐子『草の根NPOのまちづくり――シアトルからの挑戦』勁草書房,2004年)行政が自治会や経済団体を連携相手にするのは行政の選択であり、その選択の原理に日本での行政と市民の関係性が反映するのかなと思いました。

  上の書に、アメリカのコミュニティ・ビルディングと日本のまちづくりを対比した箇所があります。シアトルでは、アジア系マイノリティ出身の市民運動家たちとフェミニズム系の運動が連携してまちづくりを進めてきたとありました。行政がそうしたグループを支援したということになります。一方、日本では、多様な市民の発意をとりこみそれを施策に行かしていけるしくみうまくつくれていないということでした。その差がどこから来ているのかを深く探ったのが、上記の書です(まだ全部読めてませんが、、、)。


 日本でも方式だけシアトルをまねて「マッチングファンド」だけが人気出ているようです。しかし、行政と市民との関係性が変わらないと本当には変わらないと思います。行政が一つではなくプロジェクトごとにいくつもの多様な市民にお任せをしていくという体制にならない限り、つまりは、行政の権力が小さくならない限り、行政はいまの体制にとどまるでしょう。

 それを変えるには、市民が行政に癒着するか、距離を置くかの二分法ではなく、行政を身近に感じつつもきちんと言うべきことを言っていくということが大事だと思います。地域での求心力が行政一極集中でなくなるようにすることが大事と考えています。それができないままだと、今の市民と行政の力関係はなかなか変わっていかないように思います。

 市民側の批判的な意見が取り込まれず力をもたない限り、行政は現状を変えていく必要がありません。こうしたブログは若い方がたが読んでおられることもあり、意見交換に期待を寄せています。

 atさんのご意見に対しては、ノーと書いているつもりでしたが、最終的には市民が力をもたない現状がまずいという点ではそう違いはないのかもしれません(笑)。


2.世古一穂さんの「市民参画」「協働のデザイン」がこうした行政のしくみを変えるものか?
  世古一穂さんの「協働のデザイン」という協働のしくみの評価については先日、実際に講演をお聞きし交流会までごいっしょした経験をこの一週間議論し、反芻してきています。相当いろいろ考えさせられる体験でした。これについても追って書いていきたいと思います。